那個對作為單純的觀測者的情況不過是.
〜It will be only the convenience in a mere watcher's position.〜
A.S.Lyhint&U.P.Dech 原作 柴桐直志、費仁究 共訳
……騒動はいつもむこうからやって来る。
いつも汐目当てにウチに入り浸っていた、小動物系のちっこいヤツ。
……伊吹風子だ。
こいつとは、実は高校時代からの腐れ縁だ。生き霊をやっていた事もあるヤツ。だから、俺も大抵の事には驚かないつもりだった。しかし、今度ばかりは驚いた。あまりも突拍子のないことを言い出したからだ。
「風子は三つの願いを叶えられますっ!」
余りの唐突さに、手元の菓子を食おうとしてあんぐり開いた口が、三〇秒ほど閉じられなかった程だ。冷静になって閉じた後、「風子、おまえ熱でもあるのか」と自分とそいつの額に手をあてて比べながら聞き返したくらいだ。
「風子は、熱なんてありませんっ! あまりにも快調なので困ってしまうほどです」
いつもよりもなんだか気合いが入っていたから試しに、
「いつから、小悪魔に宗旨を変更した?」
と突っ込むと、
「小悪魔じゃありませんっ! どちらかと言えば女神です」
案の定帰ってきた答えは角度にして二〇〇度程ズレていた。
そのあと俺は、それから一時間ばかり、「三つのお願い」について、たちの悪い宗教屋か読○新聞並に熱心な勧誘…もとい講義を、半ば強制的に有無を言わさず聴かされてしまった訳だ。
そこまで言うなら、いっそ……
「そこまで熱心に言うのなら、三つの願いとやらを叶えて貰うことにしようか。どうせ今更惜しい命でもねえしな」
「そんな物貰っても、風子は嬉しくないですっ!」
…まあ、今のヤサグレタ命など、俺自身に取っても「そんな物程度」だし。妥当な価値判断だな。
「まあなんでもいいや」
「何でもよくはありませんっ!」
これ以上やってても禅問答だし、とっとと三つの願いとやらを叶えさせてお引き取り願うとするか。
「それじゃあ、一つ目は……」
一陣の風が吹くとそこは、古河家前。
そこにあるのは、見慣れた古河パンの店舗では無く、「古河」の表札のかかった普通の民家だ。
なるほど、一つ目の願いは『注文通りの仕様』だったわけだな。
空は泣きそうなほど曇り、気温は冷え切って、今にも雪が降りそうな天気だった。ふと玄関を見ると、つんのめりそうになりながら、ノコノコ出てくる幼児が居た。幼少期の渚だ。オッサン達を外で待つつもりなのだろうか。
この頃の渚はやっぱり汐そっくりで可愛いなぁ。……というか、汐が渚似なんだろうけど。そんな渚を幸せにしてやれなかった俺って、かなりの甲斐性無しでヘタレなヤツだ。
そんなことはどうでもこの際どうでもいい。問題は、なんだか渚の様子がおかしことだ。
鼻水を垂らしてフラフラしている。
支えてやって額に手をあてると、案の定熱があった。
「おい、大丈夫か」ってと聞くととても大丈夫に見えないが、「大丈夫」とか細い声で答えるあたりが健気だった。
間違いなくオッサンの言ってたあの時だ。このまま処置が遅れると謎の虚弱体質になり、数年後、汐出産後に他界することになる。
それだけは嫌だ。
取りあえず目に付いた隣家、「磯貝」という表札の家の呼び鈴を鳴らした。磯貝さんに掻い摘んで……無論、三つの願いと未来の件は誤魔化して偶々通りかかったことにし事情を話すと、すぐに救急車を手配してくれた。磯貝さんは俺と救急車に同乗し、親切にも入院手続きまでしてくれた。俺が知っているよりかなり若い頃のオッサンと早苗さんが、押っ取り刀で駆けつけたのは、渚の病状がさして深刻でないと解り、一応の検査入院が決まってからだった。
大事に至らなかったから良いような物の、こんな事でどうすんだよって、自分のしてきたことは棚に置いて俺は、この両親に拳で分からせることにした。
といっても、流石に早苗さんを殴るのは忍びない。オッサンにはその分も含めた渾身の一撃を喰らって貰う。オッサンは赤の他人の俺から事情も訊く以前にKOされ、放心状態で反撃はすら無い。それだけじゃ意味不明なので、目の前で起こったことに半ば茫然自失の早苗さんが気を取り直すのを待ち、補足説明した。これまでの経緯……勿論、今まで俺が体験した未来の事実まで……を詳細にだ。
そこは早苗さんだ。まさに『季布の一諾』で瞬時に理解し納得してくれた。
「多分、渚も汐ちゃんも倖せだったと思います。本当に、有り難うございました、今日のことも、そして、未来に起きたことも……」と深々と頭を下げられた。こっちが恐縮してしまい、差詰め、米つきバッタのような二人の様は、さぞや滑稽だったろう。
さて、これで一つ肩の荷が下りたな。あとは、早苗さんとオッサンで何とかするだろう。俺は、オッサンの復活前に一言、「今暫くは出来る限り、渚から目を離さないでやって下さい、早苗さんやオッサンが必要なんです。それから、矛盾してるけど、渚はお二人が夢を捨てることを望んでいません。だから……絶対夢を捨てないで下さい」と伝えると、虚空に向かって叫んだ。
「なあ風子! 聞こえてんだろ。次だ、次ぎ」
俺は二つ目の願いを風子に伝えた。
……再び吹くは一陣の風……
目が覚めると、そこは俺の部屋だった。と言っても、今のアパートではなく、高校時代まで住んでいた実家だ。
ふと目に付いたカレンダーを見ると……数年前ものだった。
「そうか、あの日か…」
鏡を見ると少年時代そのものだった。試しに右腕を上げてみると、すんなり上がる。
親父が壊れた原因と、俺がヘタレた原因はまだ無い。
俺は、支度をして学校に出掛けた。
やっぱり学校って言うのは、しばらくぶりに行くと長く感じるな。風子サービス悪すぎ。
どうせなら、前回みたいに直前のほうがマシだった。こんな事を言うと『風子のサービスは悪くないです。むしろ、アフターメンテまでサポート体制は万全ですっ!』とか言って拗ねてしまいそうなので、文句はその辺で止めておいた。そうこうしている間に、部活まで終わったな。これが、「毟り取った衣笠」もとい、「昔取った杵柄」とか言うヤツ。
正念場はこれからだ。
あの時の原因て何だったろう。かなりどうでも良い事だったはずだ。どっちかって言ったら俺や親父が内側のストレスが一気に吹き出しそのベクトルが運悪く、最悪の展開になったってのが正解だろう。人間関係、特に身内って言うのは面倒だ。
その夜、結局喧嘩になった。やっぱり原因は些細なことだった。親父と喧嘩しつつも、俺が気を付けたのは肩だった。親父に負い目を追わせたらご破算だ。それ以外は、それはもう遠慮無し。ほとんど二人とも全開で殴り合った。終わってみたら、二人とも見られた状態ではなく、痣だらけの熊猫だった。
両方が正気になって、顔を見合わせると、どちらともなく大笑い。
「強くなったな、朋也」
「父さんこんなに強かったのかよ、反則だぜ反則」
「そりゃそうだ、これで負けるようなら、おれもお終いだ。まだまだ、おれには勝てんよ」
「ふん、すぐに追い抜いてやるさ」
親父は不遜に帰してくるかと思いきや
「……いたらぬ父親だが、もう暫く我慢してくれ」
「我慢するもんじゃねえだろ。それって……」
「それもそうか……」
溜息をついて、二人で再び大笑いした。
なんだか、割と呆気なかったな。拍子抜けした気分だ。
もっと早く気が付けばよかったなどと前の事を後悔しても仕方ないんだけどな。
三つ目の願いは……
「悪い、風子。これで用が足りたから保留な」
虚空に向かって話しかけた。
……風は何故か不満ありげに吹き抜けた。
月日は一陣の風の如く、光陰は矢の如し。
部活を引退後、受験勉強をそれなりに真面目にしたところ、すんなりと高校合格の通知を受け取る。有数の進学校にしては案外少し拍子抜けだ。改変前には苦戦した覚えがある。それは、ヘタレた俺の手抜き受験勉強が原因か……。まあ、取りあえずここに入学しないことには始まらない。
さて、保留のままの最後の願いは放置するにしても、風子には世話になったし、それまでの礼ぐらいはしないと罰が当たる。しかも、その方法が思い当たるんだから、それを実行せねば改変前の春原並にヘタレだ。ただ、改変された世界で、それが実際起こるかどうか……その方が問題だった。いやむしろ起きるな。面倒事は嫌だし、それ以上に、辛いのは風子自身だからな。
クラス割りも発表され入学式は滞り無く終了。タイムリミットは刻々と迫っていた。幸い風子と同じ組になれたので、つかず離れず護衛紛いのことをするのは案外容易かった。……むしろ、ストーカー並だと気付いて愕然とした。誰かを頼るわけにも行かない。頼みの綱の、公子さんと芳野さんにはまだ知り合ってもいない。しかも、風子自身、改変前に三つの願いを持ち出した彼女と同一だという確証がない以上、事実を知っているのは取りあえず俺だけ。背に腹は代えられない。
しかも、改変前の公子さんから聞いてる話だと、風子は今日は家で喧嘩ときてる。最悪だな。
情けねえ。一番似つかわしくない奴がナイト役唯一の適任者だとはな……。
こんな時は、景気づけに藤林のトランプ占いで悪い結果を出して貰って露払いするか、宮沢のおまじない……そうか居るわきゃねぇよな。俺より下の学年だから、まだ……っていうか、入学して来るかどうかすら謎だ。前とは改変されてるからな。藤林はさっき挨拶したからばかりだから、ここでも面識が一応あるけど、既に開店して人だかり……。それ以上にヤヴァイのは、ボブヘアの杏が臨戦態勢で飢えた野郎どもを蹴散らしている事だ。……クワバラクワバラ。
んっ
そろそろだな。俺は下校していく生徒の流れを見ながら見失い掛けた風子を捜す。
いた!
正門をくぐって、後を付ける様はまさに、ストーカーだな。よくて興信所の職員。…まあ、調査員は高校の制服なんて着てないから、ストーカー……か。自嘲笑いする。
そんな場合じゃ無かった。
一台の乗用車が道路を蛇行しながら突っ込んでくる。族か? いや、ありゃ酔っぱらいって……、冷静に考えている暇は無さそうだった。
今、下校途中の新入生達はてんでに散って回避している。その中に、一人呆然と立ちつくしているヤツ。風子だ! あいつパニック起こして動けなくなってやがる。車は、風子との距離を詰めていく。
「風子っ!」
俺は、その時がむしゃらだったんだと思う……。そして、風子に体当たりしてを車から出来るだけ遠くに跳ね飛ばし……ついでに俺も宙に舞った。
気が付くと、消毒用アルコールの臭いがした。
目を開けると、そこに父さんが居た。
「ここどこだよ」
「見ての通り病院だが」
…病室だった。体を起こそうとしたが痛くて動けない。
「馬鹿、まだ動けるわきゃねぇだろ。肋ヒビいってんだとよ。わかってねえなあ、小僧」
何処かで見たことがあるオッサンだった。グラサンを掛けて、不良かガキ大将をそのまま大人のスケールまで拡大したようなオッサン。
「偶々通りかかったパン屋の秋生さんが運んでくれたんだ。朋也も礼をしておけよ。」
「……ありがとうございます」
このときは自分でも不思議なくらい素直に礼が言えた。
「それより、すまないな、秋生さん。仕事中だったんだろ」
「困ったときはお互い様だ。それに、いつもあんたんとこで贔屓にして貰ってるしな、直幸ぃ〜」
馴れ馴れしく肩に手を掛けて、父さんの背中をポンポンっと叩いたオッサン。
客を客とも思わない不逞なパン屋だった。
秋生? 聞いたような名前だな。
「オッサン。もしかして苗字が古河で娘がいるのか? 渚って虚弱体質の……」
「虚弱体質って何だよっ! 渚は健康だけが取り柄で、幼稚園以来ずっと皆勤賞だぞっ。風邪だって引いたことがない、……って、てめえ何いわせんだ! それに、なんで渚のこと知ってんだよ! まさか、渚のコレじゃネェだろうなあ」
オッサンは下品に指を立てていった。オッサンの性格は相変わらずだったが、俺の行った改変は無駄じゃなかったらしい。
「……ちげえよ。ところでオッサン、演劇は続けてんのか」
「当たり前じゃねえか! 確かに芝居じゃ飯の種になんねえから、パン屋で喰い繋いでっけどよ」
オッサンはなんだか楽しそうだ。
「早苗さん……いや、奥さんはどうしてる」
「早苗か……。渚から目が離せないときは家にいて貰ったけど、小学校まで上がったら職場復帰して貰った。流石に、パン屋だけじゃ心許ないし、それが約束だったからな。今じゃ名物教師だってよ。小僧、おめえんとこの学校だ。会ったら声えかけてやってくれ。って何でてめぇが、早苗知ってんだよ! まさか、教師と生徒の禁断の愛を……って早苗は俺のもんだぁっ!」
「だからそんなことしねぇ…」
「ところで、ついでだから聞いてくれよ。渚がよう……」
それから核心に触れるまでの一時間ばかり、オッサンから、渚の自慢話を聞かされることになった。幼稚園のお遊戯で褒められたとか、小学校の学芸会で大受けだったとか、中学で演劇部を率いて全国大会で準優勝したとか明らかに改変の成果だ。でも
「最近じゃ高校二年に上がって演劇部長さんだ! ……と言いたいところだが、今までの三年生が卒業して居なくなって、あいつ一人だっていってやがった……何とかしてやれねえもんかっていうか、てめえ、入部しろっ!」
……前の流れより早く演劇部の終焉が訪れた。しかも、前と違いもとから、部員だって言うから更に辛いことだろう。
俺は、虚空に向かって言った。
「なあ、風子、聞こえてんだろう、だったら……」
ガチャッ! 病室のドアの音がした。
「岡崎さんっ! とうとう、三つ目の願いですかっ!」
「……ちげぇって」
風子がいた。姉とその婚約者に連れられて。
それ以降の入院中、毎日見舞いにやってくる風子から、期待に満ちた熱い視線を浴びせられ続けた。
一週間後。
退院した俺は風子と廊下を歩いていた。担任の新倉さんに事故報告を兼ねた挨拶をしてきたところだ。今、或る意味奇跡の存在を実感している。その一つが、全治一ヶ月の怪我から一週間で復活なんでろう。まあ、未だ完全じゃないから無理は出来ないんだけどな。
考えてみると、改変前の流れの俺はあまりにもヘタレ過ぎていたしなあ。
ヘタレといえば、さっきうちの担任からこんな話を聞いた。スポーツ推薦で入学したサッカー部期待の星が、他校の生徒との大立ち回りで謹慎を喰らったらしい。期待の星にしちゃヘタレたアホだな。ん? この話何処かで聞いたことがあるな。
そうか、改変前……
……思い出したくもなかった。
そう言えば、職員室では驚いたことがふたつあった。一つは、早苗さんが俺を「特定」できたこと。それもまた奇跡で、あの時の想い出話から、オッサンの話にを補足するようなその後のエピソードまで含めて大盛り上がりだった。或る意味、早苗さんも俺や風子の側に巻き込んでしまったのだろう。
それともう一つも早苗さんに関してのこと。演劇部顧問だったのだ。「どうか渚の力になって下さい」と彼女に頭を下げられて頼まれたら断れる者などいない。俺もご多分漏れずその一人。
ただ、「わたしも是非汐ちゃんに会ってみたいです」とニッコリ笑って言われたのには流石に参った。親公認というのは嬉しいけど、まだその娘に出逢ってすらいない男に、暗に娘に手を出す許可を与える母親も問題あると思うぞ、早苗さん。因みにこれ以降、「汐ちゃんにはいつ頃会えますか」攻撃を受ける続ける事になる。
ちなみに古河教諭は、うちのクラスの副担任だ。これから永い盟友になりそうだな。それこそいろんな意味で……
さっきから風子が微妙に拗ねているが敢えて気にしないことにした。
職員室を出て、そこであった他愛ないことを話しながら演劇部室に向かう途中の廊下で、偶然、藤林姉妹とすれ違った。
「あっ、ふうちゃん」
妹の方、藤林椋が風子に話しかけてきた。
「藤林の椋さんですっ!」
「あっ、やっと憶えて貰えたんですね♪」
とても嬉しそうにいう。
「椋さんと杏さんは瓜二つだからそこはかとなく厄介ですっ!」
「そりゃそうね、何しろ……」
「双子だからな、おまえら」
「誰? あんた」
「1−Aの岡崎朋也だ」
「入学式の時、挨拶してくれましたよね」
「おう。よく憶えてたな」
「思い出したわ。あんたよね。『酔っぱらい運転から身を挺して風子を守った勇者』って。既に伝説よ。乱痴気騒ぎ起こしてサッカー部辞めたヘタレと並んで」
藤林杏はニヤソと笑った。こいつ楽しんでやがる、絶対。
それより伝説になっていたのか、俺。
しかも、なんだかイヤなヤツと一緒くたにされたような気がする……。
「褒るのか、貶すのか……どっちかにしてくれ。大体、入学早々肋折って入院てのは、ただの間抜けだろうよ」
「馬鹿ね、褒めてるのよ。風子の中じゃ間違いなく勇者よ。まあ間抜けには違いないわね。だけど『ヘタレ』じゃないから安心していいわよ、あの『噂のアホ』みたいに。それにそう言うのってあたし……、結構好きよ」
杏は、にまっと不敵に笑うと、これがロングヘアだったらもっと絵になるのに、そう思うくらい颯爽と立ち去った。後に尾を引く問題発言を残して……
「お姉ちゃんまってよ〜。おっ…岡崎さん!わっ……私もそう言うの、だっ……大好きですからっ!」
真っ赤に頬を染めながら、姉の後をトテトテと追いかけていく、小動物系の妹。
ん? なんだかどさくさに紛れて際どい告白をされたような気がするぞ。
「どうでもいいけど、取りあえずどっちかが髪を伸ばして区別付けてくれえ〜」
後日、藤林椋が髪を伸ばし始める事になるがそれはあくまで余談。
ところで、小動物系と言えば……
「風子どうした」
「ライバル出現ですっ! これは大変ですっ! 風子も負けていられません」
こいつもかいっ!
そういや、こいつ入院中毎日見舞いに来てくれてたんだっけ。期待に満ちあふれた瞳は「三つ目の願い」だけじゃなかったのか? ……もしかして。
「なあ、風子」
「なんですか」
ふと思ったことを風子に聞いてみる気なった。何故か、今のこいつなら答えを持っている様な気がしたからだ。
「俺の都合で改竄する前の世界ってどうなったんだ」
「きっとそのままありつつけるんです。重なり合った世界は共存しています。だから前の世界は岡崎さんがいなくなったまま流れて行くんです」
「『シュレディンガーの猫』の多世界解釈か……」
……思考実験だ。
猫を箱の中に詰め込んで蓋を閉める。中は当然が見えない。その箱には仕掛けがしてあって、ラジウム元素が飛び出す。それをガイガーカウンターが感知すると、透かさず青酸ガスが箱の中に吹き出す仕掛けだ。勿論、その場合の猫は、あの世行き特急列車の指定席と言うことになる。
一時間いや、三十分でも良い。ラジウム元素が飛び出す確率は、王や田淵の生涯打率より高い五割。まあ、太平洋戦争開戦当初の二航戦の爆撃命中八割という神懸かり的な確率に比べればまだまだ低いが、五分五分というのは決して低い確率じゃない。
さて、一時間後猫は死んでいるか生きているか……
中に入れられた猫にとってはきわめて重要な死活問題だ。だけど、物理学者達は頭の中の実験に対してこういう解を出す。
『観測するまで解らない』
観測するまで、猫の生死が重なり合った不安定な状態で確定できず、観測する事によってどちらかの状態に収縮し確定するんだという。
ミクロの世界では確率でしか電子の位置が確定できない、だけれどマクロ世界での常識にして照らし合わせたら、それは絶対におかしい。例えば、「月は観測されるからそこにある」んだろうか。それは幾ら何でも屁理屈だろう。だって、どう考えたって普通の常識では「月は観測するまでそこに在るかどうかすら確定できない」なんてことは無い。コペンハーゲン学派の人々は、それを肯定した。その彼らが平然と言ってのけたことが一つある。「マクロ世界にミクロ世界の常識は干渉し得ない」と。
それに対して、「神は賽を振らない」と晩年まで、和解しなかったのが、かのアインシュタイン。よって、相対性理論と量子論は未だ頗る相性が悪い。
彼と親交があって同じ立場を取ったのが、この思考実験の発案者Pr.シュレディンガーだ。波動理方程式の開祖が、ボーア博士達の考え方の矛盾をそうやって揶揄し問題定義とした。そう考えると、彼の教授、或る意味性格が悪かったのかも知れない。
ところが、上には上が居る。
それは、教授の波動方程式を素直に解いてしまった人。当時学生だったエベレット氏だ。
その解というのが、「ラジウムが感知された未来とされなかった未来は、その時点で両方の世界が成立する。それを追確認するのが観測者」というものだ。
つまりこう言うわけだ。猫死亡、猫健在、どっちの世界もあって、偶々どちらかを確認できた方の世界にあんたはいるんだって。発想の転換。つまり一枚上手だったわけだ。
風子の出した結論がそれ。
俺はターニングポイントで改竄しまくった。そこで、俺がしなかった従来の流れ、「歪な親子関係、眠り姫の風子、そして、汐出産後他界する渚、そして汐も夭折」世界と、「今、風子と廊下を歩いている」世界。少なくともこの二つの世界が同時に存在していると。
ここで俺のやったことは、簡単に言うと、新宿から多摩線の多摩センターへ行くつもりが、寝過ごして終点の唐木田に付いてから気付き、それならいっそと新百合ヶ丘まで引き返し、そのまま小田原線で町田でまで来たようなものだ。ちなみに唐木田には何もないし、その先には車両基地があるだけのTHE
ENDだ。
それじゃあ一体、此処にいる俺は、改変前の俺なんだろうか、それとも、その後の流れの俺なのだろうか……考えると頭が痛くなってくる。何しろ今の俺は「ラジウム元素」(干渉者)であり、「猫」(当事者)でもあり、或る意味「教授」(観測者)ですらあるわけだ。……余り突き詰めると、地下鉄状態で眠れなくなりそうだった。
……まあいいや。
少なくとも、この世界を「観測している」俺は俺なんだし……。それに、「風子と渚が健在な世界」なら別にどうだっていい。これに関する面倒な思考は今後一切封印だ封印!
「風子にしては冴えてるよな」
無論含みもいろいろあるんだが、
「もちろんですっ! むしろ風子はいつでも冴え渡っていますっ!」
こいつかかると、いつものこととは言え、もう細かいことなんかどうでもよくなってくる。
「まあ、風子がそれでいいって言うならそれでいいんだけどな」
気付くとそこは目的地だった。
『演劇部』
そう書かれラミネートされた色画用紙が引き戸に丁寧に張り付けられている。
見ると比較的新しい。最近張り替えられた物なのだろう。
それより、そこに書かれた「だんごの群」はどうにかしろよ……渚。
……ガラガラガラ
引き戸を開けると、中には途方に暮れて座っている少女が居た。
「よっ、健康優良児!」
「え?」
今の渚だ。前の渚と寸分違いないように見えけど、やっぱりどっかが違う。敢えて言えば『NEW渚』だ。
「違ったか。じゃ、なんて呼べばいいんだ。先輩」
「古河渚……です」
「それじゃあ渚でいいな」
「それでいいです」
「よう、渚」
「……何でしょうか」
気の抜けた質問だった。
「『何でしょうか』はないだろ? 入部希望だよ」
「入部希望……って、入部希望ですかっ!?」
「驚くなよそれくらいで」
「でも、規定人数不足で説明会も出来なかったんですよ。なのに、どうして……」
「説明会何か見ちゃいねえよ。何しろ入学式からこっち、一週間程入院してたからな。そんなこたあどうだっていい。創立者祭で公演するには、部登録で取りあえず二人の部員が必要なんだろ。素人でも頭数くらいにはなるよな」
「なりますけど……」
やっぱり渚は解せないと言うような眼で俺を見ているのでここは強引に話を進めた。
「俺は新入生の岡崎朋也。よろしく頼む。それから、こいつは……」
我ながら偉そうな自己紹介だった。そして、俺は、陰に隠れておどおどしている小動物を手前に追いやった。
「伊吹風子ですっ! よろしくお願いしますっ!」
「古河渚です。こちらこそよろしくお願いしますっ!」
この部の主の渚までが深々とお辞儀をするもんだから、どっちが新入部員だか解らなかった。
ここで、同じ目標を目指したこの三人の関係が、やがて別の感情に変化し、絶妙にまったりとバランスの取れた奇妙な三角関係発展するなどとは思いも寄らなかった。そして、高校、大学、そして社会人となって数年経つ現在までずっと継続中。世の中どう転ぶかわかりゃしない……。
最近こうは考えることにしている。何にしても、前の世界の死別したり生き霊化したりに比べりゃ数段マシなんだろうって……
これも一つの愛の形? いや、むしろラブコメか……
いずれにせよ、それはまた別のお話しと言うことで。
假使,イ尓看了那個先不同未來,那我的情況的範疇非也。因為那個對作為單純的イ尓的觀測者的情況不過是……
〜If you looked at the future which is different previously,
there is no it under the category of my convenience. Because it
is only the convenience in your mere watcher's position ....〜
(もしも、あなたがその先に違う未来を見たのであれば、それは私の都合の範疇にあらず。それは単なるあなたの観測者の立場での都合に過ぎないのだから……)
〜劇終〜
(おまけ)
ところで、結局、三つ目の願いがどうなったというと…もう俺には必要がないから、ずっと保留のままだ。たぶんこの先もそうだろう。
「だったらそれ、僕にくれよ。有効活用してやるからさ」
「おまえ誰?」
ちなみに、今回の春原は面識もなく出番すらない「噂のヘタレ」だ。
「って本当は知ってるじゃないですかねっ!」
「いや知らん」
……むしろ、それは単なる作者の都合に過ぎない……
『観測者の都合』〜劇終〜