『鳥の詩』 防波堤に座り釣り糸を垂れる人影が二つ。 夏の日差しの中、麦わら帽子を被った少女と青年。 青年は、少女の麦わら帽子の庇を持ち上げて少女の表情を窺い、何かを少女に語りかる。  少女は、その問いかけに答えるように青年に向かって話しかける。 「あのぅ、祐一さん…」 「どうした、栞」 「祐一」と呼ばれた青年と青年が「栞」と呼ぶ少女の方の視線が交わる。 互いの視線が交わる。  こんなことは、二人にとって何でもない日常の筈だけれど、何となくこれから何か話そう とするときに目があうと何故か照れてしまう。  そんな心の内を栞は少し照れ笑いに隠す。 「…え、えっとですね…」 ---------------------------------------------------------------------------------- 「お客さん、特にご予定がないようならこの先の防波堤で釣りでもいかがです?無料で道具 を一式貸し出し致しますよ?」  寝台列車を降りてその駅からバスに揺られて1時間。ようやく9時頃に宿について部屋に 荷物を置く。さて、どこか地元の名所にでもぶらりと出かけようとした矢先、二人がフロン トで勧められたのが釣りだった。相沢祐一は、それほど興味を示さなかったが、妙に乗り気 になったのは、連れの美坂栞の方だった。 「わぁ、釣りですか。私、初めてなんですよ。是非やってみたいです」  栞は、祐一が訊ねる前に即決でしていた。  祐一は、そのとき苦笑しながらも栞のそれまでのことを思うと無理もないことだと思って いた。  なぜなら、去年の春まで彼女自身病床の身であり運動など以ての外だったし、さらに彼女 にとって運の悪いことに、彼女が医者から全快のお墨付きを貰った春以降も、祐一の受験勉 強と重なってしまった為、あまり派手に遊び回ることが出来なかったからだ。 そんなこともあって、秋子さんの了承(一秒)と、栞の姉・香里の『後のことは任せて起 きなさいって』というお墨付きを取り付けると、祐一は海辺の街への小旅行に栞を連れ出し たのだった。 「…まぁ、釣りも悪くはないか」 特別にがやりたいというわけではなかったが、祐一としては栞とのゆったりした時間を過 ごせるなら何でもよかった。 釣り竿を手にして鍔の広い麦わら帽子を被り薄手の袖無し無地のワンピースにサンダル履 き、そんな出で立ちの栞は、年頃の少女というよりは、むしろ遊びたい盛りの女の子、よく ても中学生ぐらいにしか見えないな、祐一はふとそう思った。  そういった無邪気な姿の栞にときめいている、そんなこと自分自身を再確認できたこと嬉 しかった。  けれど、そんな自分の中の想いを栞に見抜かれるのが恥ずかしかった祐一が、ふと気がつ くと、 「栞、そうやってると中学生にしか見えないぞ」 そんな風に、いつものように栞をからかっている自分がいた。 「そんな事言う人嫌いです」 栞もわかっているようで、少しだけ拗ねて見せて笑う。 防波堤に腰掛ける少女と青年。  照り返す日差しがまぶしかった。 「祐一さん、…これどうするんですか?」  祐一が、目深に被った麦わら帽子の縁を少しあげて隣の栞を窺うと栞が仕掛け作りに悪戦 苦闘している。 「一寸貸してみな」 祐一が、栞の手から作りかけの仕掛けを受け取ると、一寸手を加えて完成させる。 「祐一さん少し格好いいですね」 「少しか…」 祐一は大げさにしょげて見せて、 「これでも俺は、『釣りピー(自主規制(笑))祐一』って呼ばれていたんだ」 「嘘つく人も嫌いですよ」 栞は、微笑みながらいつものせりふで祐一の冗談を受け流す。 「でも、『ピー』って何ですか?」 「…誰かが困るから気にするな。」 「誰かって…」 栞が、「?」マークを浮かべている。 答えに詰まった祐一は、話題を変える 「栞、元気になったよな…本当に…」 祐一は、栞のほうを窺い、栞の麦わら帽子の縁を持ち上げて額に軽く口づけをする。 「え?」  栞は、前振りなしの行動に一瞬たじろいで鳩が豆鉄砲を食らったような表情をした。 「いや、去年の冬。栞に出会った頃のことをふと、思い出したんだ」 透き通るような美しい色白な肌は以前と変わらないが、少女の肌は以前とは明らかに違う。  冬の雪雲の下、その肌の白さは、それだけでどこか儚げだった。今は、暖かな陽光の下、 むしろ、上気したその白が健康的にさえ見えた。 「そうですよね、去年の冬までは…」 一向に引く気配のない釣り糸を垂れたまま、気にもとめない栞。少女の瞳は、どこか彼方 を望んでから、祐一の方へ視線を再び向ける。 「あのぅ、祐一さん…」 「どうした、栞」 祐一と栞の視線が交わる。 互いの視線が交わる。  突然、交わったお互いの視線にちょっとだけ照れてとまどう栞。  そんな心の内を栞は少し照れ笑いに隠そうとすように。 「…え、えっとですね…」 言葉が一瞬途切れる。 二人の頭上の高空を空自のF−15J主力戦闘機の機体が、高速音と飛行機雲を残して飛 び去っていく。機械の鳥に置き去りにされた飛行機雲が、散り散りになりながらちぎれて拡 散してゆく。 そんな空の下、麦わら帽子の庇の下の二人が、ややいい雰囲気になりつつあったところへ、 「おおっ、国崎君ではないか!」 栞と、祐一が驚いて振り返ると、白衣を着た若い女性が立っている。 「水くさいではないか、引き返してきたのなら…」  白衣の下は、白地に『通天閣』と大きくプリントされた妖しいTシャツ。何となく姉御肌 にも見えるその女性に、 「俺のことか?」 祐一は、そう答えた。 「あっ、いや…すまない。人違いだった。後ろ姿の雰囲気が、とある旅の人形遣いにどこと なく似ていたのでな。」 女性は、祐一に軽く謝罪した。 「そんなに、俺に似ていたのか?」 祐一は、問い返す。 「何となくだが…。」 女性は、ばつが悪そうに答える。 「俺に似ているというなら、きっと男前なのだろう」 祐一は、少し調子に乗ってそう言った。 「多少は男前だったかもしれないな。妹の佳乃に見初められたくらいだからな。だがなぁ君 …」 白衣の女性はメスを一本すっと取り出して 「身の程をわきまえた方が身のためだと思うぞ」 夏の日差しを反射して妖しく光るメスを片手ににやそと含み笑いをして。 「冗談だ」と大まじめにいった。 「…冗談でもそう言うことは、よしてくれ」 祐一はげんなりしていた。 それまでその掛け合いをみながら傍らでくすくす笑っていた栞は、ふと思いついたように 「それで、その旅人はどうしたんですか?」 白衣の女性に問いかけた。 「…再び旅路についたよ。今度は、この街の少女と一緒に…」 白衣の女性は、遠い目をして語る。 「…そう言えば、不思議なことを言い残していったって佳乃に聞いたな…」 視線を栞に向けると、真顔で 「…確か…『この空の上には』…」 「…『この空の向こうには翼を持った少女がいる。』」 後ろ、先ほど白衣の女性が登場した方から声がする。 一同が、声のする方に振り向くと地元の高校らしい制服、右手に黄色いバンダナ結んだを 少女がいる。少女は、栞と同年齢程度に見える。そして、彼女の容姿は栞によく似ていた。 「『…それはずつと昔から…そして、今、このときも、同じ大気の中で、翼を広げて風を受 け続けている…』だよ、お姉ちゃん」  少女は、白衣の女性にそう言ってにこっと笑う。 「佳乃。早かったな」 「うん。お姉ちゃんと待ち合わせしてたから、当然だよー」  佳乃は、とても嬉しそうに言う。仲のよい姉妹だった。祐一は、栞と香里の様だと密かに 感じた。 「『ぴこぴこー♪』」 足下の方から妙な効果音が聴こえる。 栞と祐一が視線を足下に落とすと、奇妙な毛玉生物がいた。 「おお、ポテトも一緒だったか。よしよし」 近寄ってくる毛玉生物を白衣の女性がなでてやっていた。 「…イヤ動物?!」 「ちがうよ。ポテトは犬だよ」  佳乃と呼ばれた少女が言った。 「…犬…、ですか…」 滅多なことでは動じない栞も、このときばかりは心底驚いている。 「外見はああだが、一応は犬だ。私も最初は驚いたものだが」 「…犬なのか…」 祐一は、俄には信じられないと言うような表情をしながら「それ」にもう一度目をやる。 『犬』に分類されると説明された「毛玉型イヤ動物」は、栞に体をすり寄せてくる。 「よほど、気に入られたようだな」 と白衣の女性。 「よく見るとかわいいですね。これで、『目からビーム』とか、『口からバズーカ』とかが でたらかっこいいですよね」 「…それは、いろんな意味でまずいぞ、栞」 「そんな事言う人嫌いです」 栞は、例によっていつもの決めぜりふで拗ねてしまうが、目は笑っていた。 「ところで佳乃。飼育当番は終わったのか?」 白衣の女性は佳乃に尋ねた。 「うん、終わったよぉ。みんな元気だったよー」 「それじゃ、帰って昼食にするとしよう」 白衣の女性は、一通り昼ご飯の相談を済ますと、今度は栞と祐一の方に、 「どうだ、そこの釣り人、君たちも一緒にどうだ。」 白衣の女性は祐一と栞を昼食に誘ったが、 「いや、遠慮しておく。この辺の名物も食べておきたいしな」 「それは一寸残念だねぇ」 『ぴこぴこ…』 佳乃とポテトは心底残念そうに言った。 「そうか、本当に残念だな。」 白衣の女性は残念そうに言うと 「まぁ、いろいろ予定もあるだろうし無理強いはよくないな。」 彼女は一人納得すると 「それでは、この街に滞在中に病気か怪我をしたら、うちの診療所に気軽に立ち寄ってくれ。 …と言っても、この街にはうち一軒しか医者は無いがな」  そう言って懐からだした名刺は、名刺交換など無縁だったを物語るように、紙がやや変色し ている。名刺には、『霧島診療所医師 医学博士 霧島聖』と書かれていた。  祐一は、さっと目を通すと、栞に手渡して、聖に言う。 「あんた医者だったのか…」 「言わなかったか?」 「説明されてはいないはずだが」 「はは、それはすまなかった」  聖は、まじめな顔でもっともらしく頷きながら軽く謝った。 「それでは、佳乃いくか。」 「うん、いこう」 『ぴこぴこぴこー♪』 「君、もし、『国崎』という名の旅の人形遣いに出会うことがあったら、また、いつでもこの 街に立ち寄ってくれと田舎の町医者が言っていたと伝えてくれ。それでは、さらばだ諸君」 片手をあげて聖が立ち去ると、心底嬉しそうに続く毛玉犬と少女。 聖とポテトが階段を下りきった時、佳乃は階段の途中でふと振り返って、栞と祐一をびしっと 指で指し示し、 「君たちを釣り人さん一号二号に任命する!」 と言い放ち、いきなりの謎の任命に、栞と祐一が不意打ちを食らって固まっているのを余所に 「それじゃ、さよならだよぉー」 両手を振りながら言うと、踵を返すと足早に姉の方にかけていった。 「いったい一号二号ってなんだよー」  祐一の疑問符は空しく木霊して潮風にかき消されていく。 「はは…、楽しい人たちでしたね」 栞は、笑顔で言った。 「そう、思うか…俺は、単に騒々しいだけのように思えたけどな…」 「あの、聖さんて言う人、なんか、お姉ちゃんに似てましたね。」 「そうかもな、あの姉御肌な所なんかは似ていたな。それより、あの佳乃って子の方が栞に似 ていたような気がするぞ」 「そうですか?」 「ああ、あの変な犬(?)連れいているセンスといい、変な言動といいどことなく…」 「そんな事言う人、ほんとに嫌いになりますよ」  栞は、プイッとふくれて言う。本気で機嫌を損ねたらまずいと思った祐一は、慌てて別の話 を振った。 「ところでなぁ、あの『…この空の向こうに…』ってなんか意味深だったな」 「…『国崎』って言う人形遣いの人が残した言葉ですね、そう言えばそうですよね…」 栞は、人差し指を口元にあてながら少し考え込むと 「私、ずっと前この世界が誰かの夢なんじゃないかって言ったことがありましたよね」 「そう言えば…、そんなこともあったな」  祐一は、ふと、空を見上げながら思い返す。  暖かな春の陽気の中 手にしたお気に入りのスケッチブックはもちろん、彼から栞に贈られたもの背景は二人のお 気に入りの公園の噴水。そして、栞の絵のモデルはもちろん祐一だ。 ありふれた日常に生還することができた、奇跡に感謝しながら栞が言った言葉だ。 「その答えかもしれませんよ」 「どういうことだ」 祐一は、意味が分からず問い返した。 「夢を見ていたのは、その空の向こうのどこかにいるにいる翼を持つ少女、そして、その子が 私たちに、ここでこうしている奇跡をくれたんですよ」 栞が感慨深げに言って 「今の一寸かっこよかったですよね」  と笑顔で、いつものせりふを付け加えた。 「そうかもな…でも何か引っかかるな…」  今度は祐一が考え込んだ。 「…羽か、そう言えば、羽って言ったら一人思い出したぞ」 祐一が奥歯にはさかっていた魚の小骨がとれたような爽快な表情で言う。 「リュックに羽をばたばた言わせてたやつを一人思いだしたんだが…」 「もしかして、『あゆ』さんですか!」 その冬であったもう一人の少女。 それは、栞と出会うきっかけを作った少女の名前だった。 「そう、あゆだ。でも、まさか…」 「私も、そう言おうと思ったんですけど…でも、まさかと思って…」 「いや、そのまさかかもしれない…」  祐一は、少し悲しげな表情をして、 「最近思い出したんだけどな、俺達の街に、八年前まで大木があったて言う話聞いたこと無い か?」 「そう言えば、昔、お姉ちゃんが話してくれたことがありますよ。今度一緒にのぼろうねって、 病床の私を励ましてくれたんですよ。でも…」 栞は残念そうに言う。 「八年前って、その樹が切られたんでしたよね。たしか、女の子が落ちたとかで…もしかして…」 「そう、落ちた女の子の名前は、『月宮あゆ』。落ちた原因は、一人の少年を木の上で待って いた時に吹いた気まぐれな風。それもこれも、俺が待ち合わせに遅れたせいだ…」 祐一の表情から今もそのことを悔やんでも悔やみきれない感情をくみ取った栞は、 「でも、あゆさんはきっと恨んでいないですよ。だからこそ、祐一さんが来るのをずっと待っ ていたんだろうし、それに、こうやって祐一さんが思いだしてくれるんだから…」 栞は、彼を慈しむ笑顔で 「私だったら、たぶん、それだけで充分救われると思います…」 祐一は、竿を防波堤の上におろすと、ゆっくり栞の方を抱き寄せ、そして永い口づけを交 わした。 「この空のの向こうには翼を持つ少女がいる、か…」 二人の見上げている空にはF−4EJ戦闘機が残した飛行機雲が拡散しながらとどまって いる。その名残惜しげなとどまっているその姿を見ながら、寄り添う二人はしばらく空を見つ めていた。 『…ありがとう、裕一君、栞ちゃん…』