(3)

 

 お祭りの最終日。

 そいつとの約束通り、夕べの神社の境内にやってきた。お祭りの喧噪とは無縁で、人気はあまりなく…多分此処だけは普段通りの時間が流れているのかもしれない。

 

 社務所には昨日の宮司さんそして、昨日は見かけなかった巫女さんが居る。

「おはようございます」と挨拶をしてみた。

「あっ、おはようございます。きのうあの子と一緒だった…」

 宮司さんは憶えていてくれたみたいだった。

 

「へぇ、あの子も隅に置けないわね」

 巫女さんが含み笑いをする。

「隅に置けないって…なんですか?」

「あれ、知らなかったのあの子はねぇ…モゴ…」

「睦月さん!(…それは内緒って約束しましたよね。あの子と…)」ひそひそ話が聞こえる。何かあったのだろうか…。

「…あのう、どうかしたんですか」

「いや、別にどうもしませんよ」

 宮司さんはしれっと言い切った。

「宮司さん、あいつ見なったですか」

「ああ、あの子なら、そこいらの木の上にでも居るんじゃないですか。いつもそうですし…それに」

窓から境内をぐるりと見渡しながら…

「さっきまで、その辺にいたんですけどねえ…」

…がさがさがさ…

 

 木立から、風もないのに葉の揺れて擦れる音。

 

 木漏れ日の形が微妙に変化する。

「そこか!」

 手元にあった破魔矢を取るとやり投げの要領で揺らいだ方向に投げる。

ひゅーん、がさがさがさ…

 

「…罰…、当たりませんか」

「大丈夫ですよ。所詮、あんな物は人が創ったものです。それにね…」

 

シュッ!………ポテ。

 

「相手も心得てますからね。ほら来ましたよ!」

投げ返された破魔矢が地面に落ちる。

 

「当たったら、どうする気だよう」

 樹の上から声がした。間違いない昨日の“あいつ”の声だった。

「御神木になんか登ってるから罰が当たったんじゃないですか」

 樹の幹を伝ってするすると器用に降りてくるそいつは、間違いなく昨日と同じ“そいつ”だった。降りてくるなり、「あにきこそ罰当たるよ!」といった。

 

「…“あにき”、こいつのお兄さんなんですか?」

「…ははは違うよ。僕はこれでも、これの叔父でしてね。歳が若いから昔からこれに、あにきって呼ばれているんですよ」

 宮司さんがそいつの頭を帽子の上からくしゃしくゃ撫でながら言う。

「でも、あにきは、あにきでしょ」

「まあ、この歳で“おじさん”とか“叔父貴”なんて呼ばれるのも一寸嫌だけどね」

「じゃ、あにきでいいんじゃない?」

「ふふ、陽輔さんの負けね」

 

 巫女の睦月さんが、そいつと宮司の陽輔さんの会話に巧みに割ってはいる。

「睦月さんには敵いませんね…」

 頭を掻きながら照れ笑いする陽輔さんに、

「ところで、陽輔さん。私たちはお邪魔無いのかしら?」

 睦月さんはぼくとそいつを見てそう言う。

「そういえば、二人でお祭り見て回るんじゃなかったの」

 陽輔さんがそう言うと、

「うん!じゃ、行こうか。きみ」 

 そいつは、元気良くそう言った。

 

「それじゃ、これは少ないけど今日の軍資金」

 そう言って、陽輔さんから二人に手渡されたお金は、子供にとっては決して少ない額ではなく、お祭りを一日楽しむには十分すぎる額であった。

「良いんですか、こんなに…」

「なあに、今日はお祭りだからね特別。楽しんできて下さいね」と陽輔さんは、僕たちを鳥居まで送ってくれた。陽輔さんは今隣にいるこいつに結構甘いのかも知れない。

 

 鳥居の外の街は、昨日ほどではないけれど、お祭り最終日を楽しもうと繰り出した人の流れが相変わらずそこに形成されている。間違いなくぼくは迷子になるな…そう思っていると、「じゃ、いくよ!」と威勢良いかけ声と共にぼくの手を掴むと、そのまま、昨日のように祭りの喧噪の中に駆け出した。

「ちょっとまってくれよう」

 そんなぼくの言葉などお構いなしで、息切れすることもなく、迷うこともなく…さながら、野道を行く野生児といった風情。まるで水を得た魚のように駆け回る。不思議と人と衝突せずにすり抜ける。むしろ、謝りながらぶつかっているのはぼくだ。

 

「ねえ、あれやろう!」

 と指さし立ち止まったのはお祭りの定番ヨーヨー吊り。金魚すくいと並ぶお祭りのお約束。

紙で出来た簡単なこより紐の先にフックが付いている。簡単そうに見えるが、吊るにはそれなりにコツが要るのだ。水につけすぎると紐がふやけて切れてしまう。“慎重かつ大胆”と言うのが、この手のゲームの攻略法だ。ぼくは…というと、まず間違いなくこよりが切れてしまう方…。

 そんなことを考えながら、おじさんにもらったソレを使って慎重にヨーヨーを吊りにかかるが…、案の定ふやけてしまい上手くとれない。まだまだ軍資金にも余裕があったので、ムキになって三度ばかり同じ愚行を繰り返す。

 隣ではそいつが「フフッ!」不敵な笑いを浮かべ、戦闘開始らしい。ぼくは、自分で吊るのを諦め、そいつの闘いっぷりをお手並み拝見とばかりに見物することにする。

 水に漂うソレのうちの一つに狙いを定める。…それからは一瞬の出来事だった。

 一つ、二つ、三つ…と気が付くとそいつの手元には六つほどのヨーヨーがあった。ぼくと、屋台のおじさんは、唖然としながらその妙技に釘付け…最後の八つ目になる頃にはギャラリーが出来上がり声援が飛び交っていた。しかし…結局十個取ったところでゲームオーバー。十一個目でこよりは水分を含みとうとう限界に達して、その総重量によってヨーヨーごと自由落下する。

 

「あーあ…とうとう切れちゃったよ」

 そいつの言葉に、ギャラリーも反応し一斉に落胆の溜息をつき、そしてその後、拍手喝采がわき起こった。

「えっ?どうしたの」そいつは、自分の偉業に全くと言っていいほど無頓着で一瞬目をぱちくり差している。

 屋台のおじさんはと言うと、ただもう呆然として在らぬ方向に視線がある。十個も一回のチャレンジで取られてはもはや、商売どころではないのだろう。暫くは立ち直れないだろう。そんなおじさんを余所目に、周りのギャラリーが自分のことのように恥ずかしかったぼくは、そいつの手をとると、無言のまま人垣をすり抜けて駆け出した。

「一寸、どうしたんだよう、きみい…」

 

 焼きそば屋の前を素通りし、綿菓子屋とたこ焼き屋の間をすり抜け…闇雲に商店街を走り抜けるぼく。

「いっ、いたい…いったいどうしたんだよう…はあはあ」

 今度はそいつが息を切らし始める。それでも走り続ける。気が付くと、商店街のはずれまで来ていて、そこからは大橋で隣の恵比寿市まで渡るか、南北にのびる商店街のどちらかに行くしかなかった。南に行くと陽輔さんのいる神社がある天神町。北に行くと吾妻町。

 

 ぼくはふと立ち止まる。

「…うーん」

吾妻町は一度も足を踏み入れたことのない未知の領域だ。

「もう…考えこまない!」

主導権は再びそいつに移る。

「ちょっと、きみ…これ持って」

そいつの戦利品の半分を押しつけられて、今までのパターンに逆転した。そしてそいつはぼくの手をとると、スタスタと吾妻町方面へと歩き出す。

 

 吾妻町は、祭りの喧噪もやや落ち着きを取り戻しつつある。吾妻町から狭い路地を抜けて、川沿いの路から河原へ降りる路をくだると、そこには一本の橋が架かっていた。

 鉄道橋や大橋…そして河に架かる他の道路橋よりもそれは、低位置にある。乗用車や一寸したトラックが一台ようやく通れて少しだけ余裕があるだけのその橋には、欄干やガードレールといった橋に必要な設備が一切無く、ただ両サイドには頼りないロープが二本ずつ張られている。そいつは一言

「流され橋」

と説明しただけだった…。

 河川の水面に映る光が、乱反射してとても眩しかった。土手の防護ブロックに座り込むぼくたちに流れる川風は優しかった。河が隔てた対岸に恵比寿市を望む。渡っていく軽トラックや自転車…数台の車両が通行止めの大橋の代わりの抜け道として通っていく。それでも時間はそこだけゆったりと流れていく、そんな気がする。ふと、隣にいるそいつの横顔を覗き込む。すると、何故だか少しだけ寂しそうに見えた。

 

 夏の日差しが少しだけ柔らかに陰りかけた頃、

「…かえろうか」

 そう言ったのはその時は何も知らなかったぼくだった。

「うん」

 柔らかな川風を受けながら夕焼けの土手路を歩く。二人の影が心なしか長いように感じた。そして、もと来た路地を吾妻町に抜ける頃には、屋台も人通りも…今までの祭り賑わいが嘘だったかのように片づいていた。

 

「あっいいなぁ、それ」

 駆け寄ってきた小さな女の子が、ぼくらが持つ戦利品を指さしていった。

「あげる」

 そいつは自分の持っていたヨーヨーを一つ手渡した。

「ありがとう!」

 そして、女の子は元来た方に走り去っていく。その先には母親らしい女の人がこちらに向かってお辞儀をしていた。そいつとぼくもお辞儀を返してその親子を見送る。そいつはしばらくその親子に見入っていた。

 

 神社の鳥居をくぐると境内で、睦月さんが竹箒で掃除をしていた。

「あら、お帰りなさい」

 睦月さんはぼくらが挨拶をするより早く、にっこり微笑んでそう言った。

「あっ、ただいま…です」

「ねえさんほら!」そいつは帰還の挨拶もしないで、自分の戦利品を誇らしげに睦月さんに示した。そしてり、ぼくの持っていたのヨーヨーを半ば奪い取るように受け取ると

「それじゃ、これがねえさんね。あにきのは…これそして…」

 と分配し始める。

「あらあら、大漁ですね」

 大げさに目を丸くして驚いて見せてから、また目を細めてクスりと微笑む睦月さん。その微笑みに、何となくどこか大人の女性を感じて照れくさくなったぼくは、思わずつられて照れ笑い。多分、その時のぼくの顔はニヤけていた。

 そいつは…。何故か、ぷくっとふくれっ面。あからさまに不機嫌そうな仏頂面で、

「はい、君の分…!」

と二つのヨーヨーをぼくに手渡す。

「ぁ…ありがと」

 

 そいつが不機嫌な理由…、その時のぼくにはまだそれを知る由もなく、ただ奇妙な居心地の悪さが胸の内に刻みこまれただけだった。