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 それは、ぼくの家が父の仕事の都合で、湘南のとある街から原木市に越してきて初めての夏の事だった。

 湘南近隣で大きなお祭りと言えば、平塚の七夕、鎌倉の花火、茅ヶ崎の浜降祭と相場が決まっている。中でも、平塚の七夕は幼い頃から父に連れられて数回訪れているが、子供心に、人混みの何たるかを植え付けるのに十分な催しだと思った。頭上の飾り付けの派手さよりも、そっちの方が印象深かったりする。

 それまでのぼくは、『原木の大納涼まつり』を知らなかっただけではなく、原木市の存在自体を知らないに等しかった。転校するとき『原木って何処にあるんだ』と友達に訊かれて、東京の方(つまり東〜北東)をさして『あっちじゃないかな』といった記憶があったりする。

 北方を指したのはまんざら嘘ではなかったが、実際は「北東」ではなく「北西」に近かった。

 

 …縁もゆかりもない土地…

 

 それも夏休み直前の七月に越してきたため、新しい学校での親しい友達もまだ出来ていなかった。

 両親はそれをしってか、それとも、知らずか…。

『大きなお祭りで花火があるから、見ておいで』と幾らかの小遣いを僕に手渡して街に送り出す。今から思えば、かなりの楽観的で杜撰な放任主義なだけだったのかも知れない。 

 とりあえず、お祭りの商店街に出かけたぼくだった。

 けれど…まだ、友達もいない。

 人の波をさけ、立ちつくして独り、その激流を眺めているしかなかった。

 見知らぬ街で…

 たった独り、にぎわいの中で異質の空気に取り巻かれて…

「…ねえ」

そんなときだった。

その声がしたのは。

そいつがぼくに微笑みかけてきたのは…

 そいつの華奢な手からは想像もできないようなちからに導かれて人の流れをかき分けていく、ぼくがいた。…そこにいた。

「…ちょっとまってよ」

ぼくの抗議にも握られたその手は離されない。

「ちから」。…父の頼りがいのある力強い手の「力」ではなく、男子にしては、華奢で小さいが思いのこもった、意思をもった別の「ちから」に先導される。

「ほら、早くしないとみれないよう、花火」

そうだった…花火。このお祭りでは花火が上がるんだったっけ。

ひとのなみ。…人の波…

 それの中をかき分けて進む二つの小さなかたち…。

河原が近づくと増える人々をかき分けかき分け…

「こっちこっち!」

「……」

 そいつは、息を切らす気配もなくなくすいすいと人の海を泳ぐ。 息を切らしているのはぼくの方…慣れない街。ひと、人、ヒト…。

 …やがて、…

「ついたよ」

 そこは、一寸大きめの神社だった。

 そしてそいつは、「一寸待っててね」と一言いうと、社務所の戸を叩く。出てきた若そうな宮司さんらしい人と何か、話し込んで…二人して裏に消える。そして、ぼくのところへ戻ってきたときには、その背丈には似合わないサイズのアルミ製の梯子を抱えていた。裏からは「落ちないでくださいよ」と言う宮司さんの声が聞き取れた。

 

「どうするんだよ、そんなモノ…」

「これはねえ」と含み笑い。

 その解答を知ることになるのは、その後すぐだった。そいつのとった突拍子もない行動…

 神社の本殿の屋根にその梯子を掛けておもむろによじ登り始めたんだ。

「落ちるぞう…」

冷や冷やしながら下から眺めるぼく。ぼくの心配を余所にそいつは、とっとと梯子を登りきって、「ねえ、きみもおいでよ」と余裕の笑みでぼくを誘う。

「落ちてもしらないぞ…」

もう一度、無駄な抵抗をしてみせる。

「怖いのー、お・と・こ・の・こ♪」

 にやにや笑ってみせるそのからかいがちな余裕の笑顔が、夕焼けに染まる。そこまで言われたら流石に引き下がれない。そしてついには、そいつの思惑通り社の屋根によじ登ることになる。梯子を伝いながらも、もちろん、おっかなびっくりで…。そして、登り切った先には…覗き込むそいつの笑顔があった。

「どうだ」

空威張りするぼくに、「まあまあだねー」という。

 

 意外だった。鎮守の杜の樹々が遮って、肝心の花火なんか見えないんじゃないかと思っていた。

 でも、そこは違った。ぼくの大方想像していた予想とは大違いで言ってみれば特等席。河原の人混みを余所に花火を見るベストポイントだった。流石に、仕掛け花火こそ見えないが、打ち上げ花火をみるには十分すぎる景観が広がっていた。

 ドン!

 暮れかけた夏の空に、白い煙を狼煙のように漂わせて合図の花火が鳴る。

 どんどんどん!

 花火の音が響く度にそらはよるに染まっていく。やがては花火が、くれる真夏の空一杯に満開の鮮やかな華を咲かせ始める。

「…おおー…」

ただただ、ぼくは、夜空に浮かぶ七色の華々をぽかーんと口を開けて眺めている事しかできなかった。

 芸術なんかぼくには分からなかったけれど、それでも、言葉にならない程の美しさって言うのは、体感出来る。数十発、数百発…数え切れないほどの華々咲き乱れ、夜空と網膜に虹を焼き付ける。

「ね、すごいでしょ?」

「…うん」

 ずっと終わらないで欲しかった。この非日常と日常と狭間のようなの時間が、永遠に続くことを望んだ。そうすれば、いつまでも、この微睡みのような時間の中で過ごすことが出来るのに…。

 

 …でも…

 

 そんな時間は何処にも有りはしなかった。

 お祭りは何れ終わる。花火も…華々も何れは終わる。

 隣で観ている、この不思議なやつとの楽しい時間も…、何れは幕を閉じる。そしてまた、しばらくは独りぼっちの時間が還ってくる。そう思うと、素直に、花火の華を受け入れられなくなる様に思えた。

「どうしたんだよ…」

そいつはそういってぼくの顔を覗き込む。

「…なんでもない」

 そう言いながら、ぼんやりと打ち上げられる花火を見つめていた。いや、見つめていたかっただけかも知れない。ずっと、こころはそこになかったんだから…。

「きれいだよね…」

夜空に形作られては消えていく華々をみあげながら、そいつはそう言う。

「ずっと…、観ていられればいいのにね」

 

 夏の夜空。満開の華々。でも、やがては一瞬の輝きを残して散っていく。そして、フィナーレの後に来るのは夜の静寂。こいつも…、ぼくと同じ事考えていたんだろうか。やがて終わる夏の幻影を感じて。

 …そして…

 お祭りの終わりは突然に訪れる。今年最後の花火のアナウンス。

お祭りは、明日まで続くけれど、この花火が終われば半ば終わったようなものだ。

 一連のフィナーレを飾る花火が終わると、静寂が闇を包む。

 けれど、ぼくたちは、屋根の上からしばらく降りることが出来ないでいた。降りたら、そこで終わりのような気がしたから。今だけの友達で終わらせたくなかったから…。

 微風が汗ばむ肌を撫でて流れる。

「「…あした」」

どちらからともなく口にした言葉。

「「え?」」

また重なりが織りなす声のハモり。

「…」「…」

最初に口を開いたのはそいつの方だった。

「また…会えるかな」

「それじゃ、こんどはここでまちあわせる?」

 ぼくの提案に二つ返事で乗ったそいつ。

 そして、

「そうだね、あしたここにくるよ」とにっこり笑った。

 見知らぬ街で始めて出来たともだち。

 二人して、今日の花火の話でひとしきり盛り上がり、明日の待ち合わせ時間をきめて…。

二人ではしごを下りたときには、宮司さんが心配そうに立っていた。

 

 

 

 

 …そして、ぼくらの夏休みは動き出す…