…戦争が始まる…
(1)
トランジスターラジオのチューナーの雑音の向こうに聴こえるのは、懐かしい父の声。 父のそばに寄り添って、物珍しげに作りかけのラジオのキットの半田付けのようすを窺っている六歳の頃の僕の声だ。
『とうさん、なにしているの?』
半田鏝を握る父の横で、じっと父の手元を覗き込んでいる日曜の午後。
白い煙が上がりながら器用に半田付けしていく父。発光ダイオードの半田付けを終わると台の上に電気鏝をのせて、
『ラジオを造っているんだよ。いいだろう出来たら、お前にも聴かせてあげるよ』
追い立てるでもなく、自慢げに語る父の横顔は、そのときの僕にはとても誇らしげに見えた。
(2)
ガザガザ…ガッガッガ…
ゾザーッ、ジュワンシュワン、
ジザー…
古びてとうの昔に耐久年数を過ぎた手作りトランジスターラジオのチューナーの周波数帯をあわせるとき、必ず聴こえる電波の嵐。
中波放送しか聞こえないAMラジオ。
骨董品を後生大事に抱えて宇宙に上がる方が珍しいのかもしれない。
というより、本当に聴こえるのかって言ったらまたおかしな話になる。
聴こえる分けなんか無いかもしれないけど、でも手放す気はなかった。
限りなくゼロに近い哨戒艇の重力の中。
旧世代の電子機器が出す電磁波の中、漂い続ける僕のラジオは、さながら小さな雑音発生装置に過ぎなかった。
「…艇長、何ですか?それは…」
片倉恵美三等宙曹は、物珍しげに宙を漂う僕の宝物を見ながら言う。
「ラジオだよ」
僕が、彼女の問いに答えると、
「…ラジオ…?ですか、これが?」
彼女は、雑音を発し続ける物体を宙から器用につかみ取ると、
「ラジオなんですか、これが?」
不思議そうにいじりまわして、そしてどうにも腑に落ちないような表情をしながら言う。
「でも、これには、データ入力プラットホームもオートチューナーも一時メモリーも、なにより表示用の液晶モニターもついていないじゃないですか」
『私をからかっているのですか』とでも言いたげな彼女の表情に苦笑しながら、
「でもラジオなんだよ」
僕は苦笑いしながらそう言った。なぜなら、それは僕があの時言った言葉とそっくり同じだったから…
「中尉殿!私などをおからかいにならなくとも…」
僕がからかったと受け取った彼女は、私に向かって抗議の視線を向けた。
「困ったなあなんて言えばわかってもらえるのかなあ」
…サザーッ、ザ・ザ・ザ・ザ・ザーッ…
ラジオが奏でる雑音の調べ
そう言えばあの時も…
…ザッザザーザ…ザ…ザ…ザ…ザザーッ
ようやく、組終わったラジオ。
半田鏝の冷め切らぬ熱。電気のコンセントを抜いても未だに冷めぬそのヒーター部からは、白い煙がやや控えめに立っている。
『ねえ、とうさん』
僕は、傍らで片づけに入っている父の袖をつかんでいった。
『なんだい、純雄』
『このラジオ、ちょっとへんだよ』
いまさっき、仕上がったばかりの、むき出しの基盤を指さしながら僕は言う。
『どうしてそう思うかな』
父は、穏やかな眼差しで言う。
『…だって…』
父の穏やかな笑顔と完成したばかりのトランジスタラジオの基盤を交互に見つめながら答える。
『だって、このラジオには、えきしょうがめんも、いちじめもりーもボタンもついていないよ』
ついているのは、簡単なステッチとスピーカー、スビーカーボリューム、そして何かのためのダイヤル。今や常識的標準装備になっている、入力端子や出力端子は装備されて居らず、唯一それらしく見えるのは、イヤホン用のミニジャック用の出力だけ…。
この頼りないことこの上ない古風な基盤を見て、ラジオを連想しろという方が難しいと思った。
『でもちゃんとしたラジオなんだよ。』
何か謎かけでもするような含み笑いを見せた父は、ようやく冷めた半田鏝のキャップを締めて工具箱にしまうと、
『…そうだなぁ、まだケースに入れていないから完成したとはいえないんだけど…』
腕組みをすると、半田付けし終わったばかりの基盤と僕を交互に見ながら、少しの間考えて
『それじゃあ、母さんに頼んで単三電池を二本貰っておいで』
僕は、父の言う通り居間にいる母から単三乾電池を貰ってくると、父の大きな手に手渡した。
僕の手から乾電池を受け取った父は、早速乾電池を出来たばかりのラジオの電池ボックスに押し込んだ。
『…うーん、ここじゃ電波入らないかな?』
そう言うと父はラジオを大事そうにつかんで、縁側へと向かう
『純雄もおいで』
僕も、縁側へ付いて行き、父の横にそっと陣取った。
カチッ!
父は黙ってラジオの電源を入れる。
…ゾ・ザ・ザザザ…ザザ…
テレビで見た、砂丘の砂の嵐に似た雑音が、付近に響き渡った。
『…ならないね』
期待していた僕。
『まぁ、慌てるなって』
父は、自信満々に言う。
…ジュワ・ザザザ…
父の自信とは裏腹に、ラジオは雑音の砂嵐だけを奏でる。
『あら、楽しそうね』
いつの間にか片づけものを終えた母が、父と
僕の後ろから顔を覗かせていた。
『それ、トランジスタラジオね。珍しいわね』
『さっき納屋を整理していたら、キットを二つ見つけたんだよ。』
『お義父さん、そう言うもの好きでしたものね』
遠い昔を懐かしむように言う、母。
『そうだよなぁ…、親父も好きだったよなぁ…』
…午後の日の光の中、親子三人寄り添って…
…ザザザ…
(3)
…ザザザ・ザ・ザ・ザ・ザー…
合うことのないチューナー。
外部からの電波が遮断れた一種の電波的密室の中では多分合うことはない。
これも、僕自身の感傷…。
…わかっていてやっている一種の儀式…
「おっはようさん!」
素っ頓狂で場違いな声で起きてきたのは、佐竹靖史宙曹長だった。
「あっ、おはよう…」
「…おはようございます曹長殿」
このひげ面の曹長と僕は、案外長い付き合いになる。
「おねぇちゃんも、艇長殿もご機嫌麗しゅう…」
こうやって、わざと戯けて見せているが、中身は、案外シャイだったりする。
「…曹長殿その『おねぇちゃん』はやめてください…。男女平等とセクハラは、別物ですよ!」
片倉三宙曹は少し、ふくれてみせる。 童顔の彼女がふくれてみせると、またかえってからかいたくなるようで、
「はっ失礼しました。片倉三宙曹どの!」
と、自分が目上であるにもかかわらず、大仰に敬礼して見せたりする佐竹だった。
「まったく、もう…」
片倉嬢は、あきれた笑いを浮かべてあきらめてしまった。まぁ、ある意味本気で怒っていたわけでもないだろうし…
佐竹曹長は、いつも通りのレクリエーションを一通り済ますと、今度は僕の方に
「で、どうでしたか?」
「大したことは無かったよ。」
「そいつは良かった。交代しますか?」
佐竹は今度はうって変わって真面目な顔で言う。
「そうだな。僕はともかく…、片倉君は交代で休んできていいよ。行きがけでいいから伊勢兵長を起こしてきてくれ」
「了解」
片倉三宙曹がブリッヂからで移動しようとするのを後目に、
「ところで艇長…」
と佐竹。
「また、これをやっとるんですか?」
「…まぁな」
宙に浮かぶトランジスターラジオを器用につかむ佐竹。
「感傷に浸るのは勝手ですが…」
ラジオを一通り眺めたあと、また元の宙に戻す。
「その感傷溺れ無いようにすることですな。」
そう言う彼の瞳は、少し悲しげだった。
「忘れることも大事ですよ」
「それは、無理だ…と思う」
僕は、反論にすらならないする。
「そうかもしれませんね。確かに、あの戦争は自分の中でも永かった…」
佐竹は、気を持ち直して言う。
「でも、自分らは軍人です。二〇年も前の過去を振り返っている閑など、兵隊にはないと思ってますよ」
「…そうかもな」
「まぁ、建前ですけどね…。」
そう言うとポケットからハッカパイプを二本取り出して一本を僕に勧める。
「いや、これがあるからいいよ」
僕は、丁重に断ると、ペンギン印のチューインガムを取り出すと、口に押し込んだ。
「建前は別にすると、やっぱり親父がいなかったのは堪えてますから、うちの坊主にはそんな思いさせたくないですよ」
「溺愛してるのはわかるよ。僕の父もそうだったからね…」
…でも、
僕にとってその分反動はとても大きかった。
短い年月とは言え、幼い日々に培ったもの…父の面影は、大きくのしかかってくる。
優しくて強かった父の面影が今でもそこにあるような気がして、とても寂しい日々を過ごした。
帝國航宙軍に志願したのも、国防大に入ったのも父の影を追い続けた結果だったのかもしれない。
夏の日の夜。ようやくケースに収めた、ラジオを片手に、父とキャンプに出かける。何故か悲しそうで、寂しそうで…
川の畔のバンガローから、見上げると自宅では見えない、星々の世界が広がっていた。
満点の星々の元、ラジオかせ流れるカミヤマジュンイチ、キタロウ、ヒサイシジョウ、ヒメカミ…といった、二〇世紀最後の二〇数年を彩ったかつての前衛音楽達が時を隔てた今の星空に溶け込んでいく。
父は、手製のドブソニアン式反射望遠鏡を持ち出して来る。
それを据え付けるのと一緒に、広いビニールシートを河原に敷いた。
『純雄、一寸覗いてごらん』
接眼鏡に目をあてると、切り取られた星々が、目の中に飛び込んでくる。
『うわー、とうさん。凄いねこれ…』
僕は、嬉しくなって、はしゃいだ。
『凄いだろう。でもな純雄…、』
父は、僕のポンッと肩をたたいて言う。
『でも、それはほんの一部でしかない』
『え?』
僕は接眼部から目を離すと、父の方をむき直した。
『いいかい、純雄そこに仰向けに寝転がって夜空を観てごらん?』
僕は、言われるままに寝転がって星空を見上げる。望遠鏡に写された星々よりも一つ一つは小さく見えたが、満天の星、天の川…銀河が織りなす、半球のステージは、僕を圧倒するには充分すぎてお釣りがでるほどだった。
ふと、気が付くと、父が横で寝転がっている。
『凄いだろう』
誇らしげに、自慢するように父が言う。
『うん!』
父は言った。
『…僕は、』
『父さんは、この星々の世界にあこがれて、航宙軍に入ったんだよ』
父は、普段の「僕」ではなく、あえて、「父さん」と普段使わない三人称的一人称を使っていった。
『純雄、お前は何になりたい?』
父は、僕に優しく問う。
『父さんと同じもの』
僕は、素直にそう答えた。
『…そうか』
父は、困ったようにため息を付いていった
『でもな、入った結果は見ての通りただの兵隊だった、そして、戦争が始まったんだ…』
『僕は、本当は天文学者になりたかった。』
そして、今度は満点の星空にむき直して
『でも、そのとき両親に学者じゃ生活できないと説得されたよ。でも、星々の世界とは接していたかった。だから…航宙軍に入った…』
ため息を一つこぼす父。
『あの時、本当は突っぱねて夢を追っていた方が良かったかもしれないな…』
『星々は、誰も拒みはしない。でも、それに甘んじて諍いと言う名の愚行まで抱え込ませるわけには行かないはずだからね。』
『?』
そのとき、僕はその意味が分からなくてただ星々を眺めているだけだった。
『難しかったか…でもこれだけは覚えていてほしいな』
改まって言う父の瞳に僕が映し出されていた。
『僕たち人類が、この夜空の彼方に持ち込む事を許されるのは、ポケット一杯に詰め込めるだけの夢と希望だけだってことをね。』
…父との最後の夏のことだった…
(4)
「…そんなことがあったんですか…」
伊勢兵長を呼びに言ったはずの片倉三宙曹がそこにいた。
「立ち聞きとは感心しないな…」
佐竹は、ふざけた口調ではなく真面目な口調で言った。
「まぁいいさ、隠しておくことでもないしね」
僕は、宙に浮いたラジオをつかみ取ると言う。
「そして、言ってみれば、こいつが今ある唯一の父の形見って言うわけだ」
「他のものは?」
「想い出はここにあるからって、お袋が処分してしまったよ。お袋自身も辛かったんだろう」
僕は、胸を指さしながら言った。
「今は、そのお袋も眠っているからね今頃は、父と仲良くやってると思うよ」
「…そうですか…」
はやりきれないようなため息を付く片倉嬢。気を持ち直して
「もう一度、見せていただけませんか?」
「ああ…いいよ」
僕は、ラジオを彼女に手渡した。
「これがチューナーでしたっけ…」
「…そうだけど」
一瞬間を空けていう。
「ならないよ、電波は艇内に届かないからね」
それでもチューナーを熱心にいじる。
ジュワー、ザザザザザザ…ザ・ザ・ザ…
『…とうさん、あきらめたら…』
『…』
『…父さんはあきらめ悪いから無理でしょ』
『…』
『…』
ザザザザ・ザ・ザ・ザ…
「…」
「中尉、ほっときましょう…こいつは、あきらめが…」
ザザザザザザザ・・・
「『…!』」
「『…ザ・ザ・ザザザ…さん、リクエストは、二〇世紀ベストナンバーからですね”戦争を知らない子供達”どうぞ』」