無数にある屍の俺の上を歩く俺の夢を見た俺のことを話す俺の話
むしろ、その時最初に目覚めた俺が感じ取ったのは、消毒薬臭さだった。
そして、次には、機械の作動音。
「う……うーん」
そして、放たれた光の中、俺の傍らに寄り添う一人の女性。
看護師らしい白衣。
髪型はボブヘア、もしくはおかっぱに近い形で綺麗に借り揃えられていて、顔のパーツは丁度いい塩梅で配置され、美しいって表現するより、チャーミングに見える。
まあ、白衣の天使って言うのはこういう女性のことなんだろうなあ、と一人で納得してみる。
白衣の天使とすればここが病院だということに相場通りならなる。
何で俺は、病院に何かいるんだろう……
「朋也くん!!」
俺が目を開くなり、彼女は俺に抱きついてくる。
「誰?」
美人に抱きつかれるのは悪いとは思わない。俺はその辺は男としての幸福感みたいな物が沸き上がってくる……けれど、抱きつかれるいわれが無い人間に抱きつかれ、そのまままちがいを起こしたとなると、仮に俺が何かの理由で入院しているんだとしても、それは一寸拙いことだろう。
「俺としては悪くない気分だが、もう少し冷静になった方がいいと思うぞ……えっと」
とっさに胸元の名札をさがしてそこに書かれた苗字を読む。
「藤林……さん」
「……え??」
次の瞬間、哀しげな表情をする彼女を見るのは忍びなかったがこれもまた已む終えまい。
良いタイミングでドアが開いて、白衣の女性が入ってくる。どうやら医師らしい。
「目が覚めたようですね。岡崎さん」
……岡崎?
さっきのこの女性――藤林さんがいった「朋也」という名前といい、「岡崎」とう苗字といい、俺には全く聞き覚えのない物だった。というよりも……
「俺……一体誰なんですか?」
記憶の混乱。
医師はそう言った。
「よくあることですよ」
と彼女は言うけれど、傍らの先ほどの藤林椋さんという看護師は、何となく納得できないような様子で、寧ろ当事者の俺よりも当惑している様子だった。
何か特別な理由があるのだろうか……。
「まあ、憶えていないんじゃ仕方ないですが、何しろ彼女は……」
俺の婚約者だったらしい。
事情を知った俺は、申し訳ないことをしたと思ったが、ああいうときは仕方があるまい。
何しろ……
高校時代からの付き合いで、漸く結婚に漕ぎ着けるというところで俺に事故が起こったらしい。
その後の病室は、面会謝絶――だったらしい――も解除され、翌日から藤林嬢から連絡を受けた人達が入れ替わり立ち替わり面会にやってきた。
最初にあったのは、俺の勤め先の社長で芳野さんという人で、奥さんと奥さんの妹さんを伴ってやって来た。その人の話によると、どうやら仕事中の事故だったということだ。何より驚いたのは、それから二年ばかり過ぎていると説明を受けたときだった。
いつ頃復帰できるか訊ねられたが、今の状況を話すと心配せずにゆっくり養生しろといわれ、元の自分に戻ったらいつでも復帰してくれと肩を叩かれた。
それよりも気になったのは、風子といわれた妹の方で、どうやら高校の同期生だったらしいのだけれど、どう見ても中学生、少なくとも十八歳以上には見えない娘。
彼女が俺に関して何か感じ取ったらしく小動物のようにひどく落ち着かない様子だった。
小動物といえば、藤林嬢もまた小動物系のかわいらしさを持っている気がするがこの際関係ない。
次にやってきたのは、ヘタレた男でやっぱり妹を連れてやってくる。
世の中にはそんなに『お兄ちゃん』と呼ばれる人種がが多いのだろうか、今後の研究対象になりそうだ。こちらは取りたてて何もなく、どういう訳かいじりがいのある奴だった。妹が必死でフォロしていたようだが、それ以前の問題らしい。
三番目にやってきたのが藤林嬢にそっくりな女性で、髪さえ短くすれば全く見分けが付かないレベルだった。なにしろ、双子の姉らしい。
椋の事を何だと思っているのかと散々詰め寄られたが、彼女にしてもやりきれないものをぶつけているだけなんだろうが、何しろ今の俺にしてみれば、何も憶えていないんだし、それこそ降って湧いた災難そのものだった。どちらにせよ、何とかしないといけないのは事実だし、俺にしても悪い感情は持っていないのでその辺は何とかなるかもしれない。
そのあと俺の親父……だと言う人やら、触覚――アホ毛なんだが――生やした親子やらが訊ねてきてようやく開放されたのは、面会時間ギリギリのタイミングだった。
「朋也くん、お疲れさま」
母のような慈しみで彼女は俺にそう言った。
漸く彼女が捻出した俺との時間……勿論、検診やらなにやらでしょっちゅう彼女とは接触してはいたが、こうやってゆっくりと話せる時間は本当に漸くのことだった。
「ああ。なんだかんだいって、連中好きの勝手だったからな」
そう言うと、クスクス笑って
「そんな事言ってると罰が当たるよ」
という彼女は、こうなった俺に対してそれ以前のように接してくれているようで、何となくそれが嬉しく感じた。
「こうなる前の俺ってどんな感じだったのかな」
「そうですねえ……」
色々と話してくれる昔話の中の俺は、少しばかり好意的に脚色はされているのかも知れないけれど、何となく大まかにはそんな感じなのかなと感じ取れる部分は有った。
「でも……」
彼女が話す昔話に一区切り付いたときにこんな事を言った。
「どんな朋也くんでも、朋也くんは朋也くんですから」
そうかも知れないな……。
どんな俺でも俺は俺なんだろうけど、彼女のように悟ることは俺には不可能なのかも知れない。
夢を見た。
どこかの学校の制服――それが俺の母校の制服であるということが、何故かその時の俺には理解できたのだ――を着た彼女と俺。受験の合間を縫ってお互いの幼い愛を不器用に語り合う。
古いシネマの様に霞の向こうで……
……、岡崎さん。
声がする。
彼女の声ではない別の声。
――本当に岡崎さんは、今の岡崎さんが自分自身だと確証が持てますか?
カタカタと何も映さない白いスクリーンに少女の影。
何となく聞き覚えがある声に感じた。
――意味深なことを言うなあ、風子は……
声に向かって俺はそう言った。そう言ったのだ。
――風子は大人ですからっ!
他にも何か言いたげだったが、目はそこで終わっていた。
目覚めると、俺の居る個室の窓からはいる朝の光が眩しかった。
「どうしたの」
とカーテンを明ける彼女。勿論この場合の彼女は椋だった。
椋?
そうか、俺は彼女のことをそう呼んでいたんだ……よな、たぶん。
「お早う、椋」
試しにそう呼んだ俺に対して、『椋』と呼ばれた彼女の方が驚いた様子で、
「朋也くん?」
と聞き返す有様だった。
だからといって、何を思い出したというわけではない。でも、彼女の呼び方を思い出した俺の回復力は案外驚異的なのかも知れない。回診でそのことを話すと医師も驚き方が期待はずれで、そんな物だという。そうやって少しずつ思い出して来るという。それよりもと俺のリハビリ計画をと差し出された計画では、順調にいった場合の数ヶ月分のスケジュールがそれこそびっしり書き込まれていた。
まあ、本当に二年も眠っていたのだとしたら数ヶ月は我慢しなければならないだろうな。
それよりも気になるのは……
午後になってやって来たのは例の彼女だった。
もちろんここでの彼女は風子ということになる。
俺の方をじっと見つめてからなにか用があるのかと思えば、そうでもないらしく、椋が話しかけると、椋と二人、何か楽しそうに談笑しながら、たまにこちらの方をチラッチラッと窺う。
何なんだこいつは。
なにやらひとしきり話し込んだら、俺の方を一瞥してとっとと立ち去ってしまった。名前通りの慌ただしさだった。
その夜もまた夢を見た……
例によってシネマのスクリーンに映し出される情景は、直感的には懐かしいものだと理解していたが、それでもやっぱり遠くにかすむ違和感だった。
幸せな記憶達が他人事のように流れている様に思えた。
……修学旅行。
定番の枕投げなどをやりだす前に、誰かがコッソリ持ち込んだゲーム機を部屋のテレビに繋いでいる。それを見ていた春原の奴が当然のように乗っ取りにかかった。
春原……ああ、この間きたヘタレ男の名前か。そこへ乱入してきたのが椋の双子の姉……なんていったか。『杏』という名前が頭に浮かんで、それが杏であることを理解する。杏の奴は格闘ゲームで春原を倒すと、見ていた連中全てに勝負を挑んでことごとくうち破って……。
そこで、面倒臭くなった俺は、ロビーまで足を運ぶと応接用のテーブルに四、五人が何かに群がっている。する事もないので、遠巻きに窺っていると十五分ぐらいして蜘蛛の子を散らすように群がっている奴らが散っていった。
群がっていた連中が去って漸く核心部に一人の女子がいることに気付かされた。
なにやら熱心にトランプを片付けている彼女と目があった。
「お……岡崎くん!?」
瞬間湯沸かし器の様に紅潮した彼女の顔は誰かに似ていた……。そうだ。
「藤林? 何やってたんだよこんなとこで」
そうか、この時はまだ付き合ってなかったって言うより、杏ほど接点がなかったんだな。
自販機で紙コップに珈琲を二人分。その一つを彼女に渡すと俺は自分の分を一口すする。
俺から受け取ったカップを持ったまま呆然と立ちつくす彼女に、
「……冷めるぞ」
とだけ俺は声を掛けた。
あっ! と思い出したように、カップの珈琲を啜り始める。
その時の会話は後にも先にもそれだけだった。
二人でただただ珈琲を啜っているところに彼女の姉が意気揚々とやって来て、
「あれ? あんた達なにやってんのよ」
そう言えば、そんなことがあったような気もするが、確信は持てない。
――そんなことがどうして本当だって言えるんですか。
風子だった。
俺はふとそんな風に思った。
どういう訳か風子にはスクリーンの向こうに感じるような違和感を感じない。
それどころか、現実以上に現実味を帯びているとさえ感じるのだ。
などと考えていると、
――無数にいるヒトデ達と戯れている方が風子には現実的です。
と訳の分からないことを言い出す始末だ。
こいつはとらえどころがないやつだな。
案外……
――それは風子の考える現実感の形だろう……
――ヒトデは、安らぎを与えてくれる物ですっ!
そうして、目を覚ましすことで手にした記憶の断片は、そうやって日毎に増えていくのだ。
確かにそれが俺の失っていた記憶の断片だということを理性は理解していた。
だからといって感情は又別の問題だ。
最初は水拭きした磨りガラスの向こう側に見えるように……、そしてそれは徐々に透明度を増していく。今ではありありとした感覚で、触れることが出来そうなほどに記憶は成長していたが、決して触れられないのだ。まるで、クリスタル硝子で出来た透明度の高い窓硝子の向こう側に、もう一人の俺がいる、そんな感覚だ。
本当に俺は、この記憶の持ち主なのだろうかと、日毎のリハビリをこなしながら、椋と束の間の時間を過ごしながら、見舞客――もう俺は誰とどんな関係であったかをよく理解している――を捌きながら、ふとそんなことを考えてしまう。
この違和感は拭い去ることが出来のだろうかと主治医に相談すると、『みんなそんな物ですよ。いずれそんな感覚はなくなる物です』と笑ってあしらわれてしまった。
それより……
記憶の断片を夢に見るとき、必ずと言っていいほど、あの『風子』という少女――実は年齢は同じだというけれど、どう見ても見かけも言動もは少女だった――
が現れるのも気になったが、当の本人はというと、例によって例の如くといった具合で、俺が本人にそのことを話そうと試みる前に、病室から立ち去るのだ。
「なあ、椋」
不意に改まって話しかけた俺に彼女は少し驚いたようで、
「なんですか朋也くん。改まって……」
「教えて欲しいことがある」
少なくとも椋ならば俺が眠っている間のことを知っているはずで、そのことを聞けば少しはこの状況が何か解決するかも知れない。風子のことは兎も角として……
そう思ってその間の事を椋に問いただしてみることにしたのだ。
椋の方も俺が何を聞きたいのか察したらしい。俺が質問する前に、
「……眠っている間のことですね」
それまでの柔らかな笑顔から、改まった真面目な表情に切り替えてそう言った。
そもそも、彼女自身、いつかそのことを訊ねられるのではないかと想定していたようだった。、
「何から……話せばいいですか?」
少しばかり歯切れが悪い彼女だったけれど、俺は敢えてこう答えた。
「入院した時の状態から……」
俺は一呼吸おいて用意していた言葉を付け加える。
「椋の知っていること全てだ」
「それじゃあ……」
彼女が意を決して話そうとしていたとき、主治医である女医が入ってきた。
「それは、私がお話します」
……
女医の話を聞き終わった俺は、止まったかのようなその場の時間を再び動かすように聞き返した。
「すると、俺は元の俺ではないというんですね」
見据えた目の眼光は反射するように俺を見据え返す。
「少なくとも、今の岡崎さんもあなた自身であってそれ以上の物ではないですよ」
単純に言うとヒトクローンという奴だ。
たしかに、分裂によって短くなったDNAを再生加工してからクローニングしたって俺の細胞であることには違いない。
「それって法的には禁止だろ」
「どんな物にも向け道があって、その研究は未だに続けられています。なによりこの宇宙時代、尤も必要であると言われているこの技術の可能性を、政府が安易に捨てるわけがないでしょう?」
もっともな話だった。寧ろ、その研究に対して患者側の協力者は全ての費用が免除されるのだから、患者にとっては利益があることの筈だ。だからといって、今の俺はオリジナルではない。大体、いくら記憶をオリジナルの脳から電気的にフルコピーして移植したからといわれても、読みとった記憶それ自身が紛い物じゃないかという疑いは晴れない。そのことも主治医は察していたようで彼女はこう言ったのだった。
「初期の混乱は有るのは予想の範疇で、記憶だって再生してきているのでしょう? それが何よりの証拠です」
俺が言いたいのはそれだけじゃない。
俺を再生するために、生まれてくるはずだった椋と俺の子供――正確に言えば、分裂前の受精卵――を犠牲にする必要があったのか。それよりも、俺を短期間で年相応まで成長させることは培養槽が利用できるとしても、クローニングの初期段階、つまりは培養槽に入れる前段階、胎児から出産までの子宮を使用しなければいけない過程に、椋を参加させることによって生じる身体の負担は考慮しなかったのか。
「それは……」
「私が望んで申し出たことなんです」
そう答えたのは意外にも椋だった。その顔は今まで見てきた椋のどの表情よりも真剣であり、尚かつ母のような慈愛に満ちていた。
結局、それ以降、急速に記憶が馴染んでいった。
後日聞いた話だが、伊吹風子という少女もクローニング再生した患者らしい。
そう言えば、俺自身、高校時代生き霊騒動の渦中にいた事を思い出した。たしか、あの時の「少女」も『風子』と名乗ったはずだ。
あの時の生き霊少女が、今の『風子』だとすると夢に出てきた事に合点がいく気がするのだ。何しろ妙に疑り深かったし。
記憶が定着してきた俺だったが、夢の中で風子が言った『本当に、今の自分自身に確証が持てるのか』という問いの答えは今暫く考えなければならないようだ。
ここにいる俺は本当にあの事故が無ければ引き継がれるはずの俺なんだろうか。
例えば河原を、例えばそこらの休耕田を、例えば、この道路のアスファルトの剥がした何処かを、例えば母校の校庭を……そこここを掘り返すとそこに無数の俺の骸があって、俺自身その中の一人に過ぎないかも知れない。もしかしたら、その上を歩く俺のことを見ている脳だけの俺が夢見た俺のことを、誰かに話す話の中の登場人物としての俺の中の一人の俺でしかないのかも知れないなどと思ったりもする。
これは、イーガンやハインラインや佐藤明機、そんな作家達の構築したフィクション世界じゃない。疑念と幻想は捨てきれないけれど、そればかりにかまけていては現実問題、一つも物事が進まないのだ。それより、少なくとも『イーガンの宝石』が未だ存在世界に感謝すべきだろう。なにしろ、理論的には時間の果てまで続く永遠の退屈の中に生き続ける必要はだけはないんだから。
それよりも……
今いる俺は、俺と椋の息子か娘になるはずの遺伝子を犠牲にして存在している。俺は確かに椋に対して伝えきれないほどの感謝はしているし、今まで以上に親密な関係になったと思う。法律的には俺は椋の息子ではないけれど、実際に『俺を出産した』椋の気持ちはどんな物なんだろう……
「どんな形であれ、朋也くんは今まで通りの朋也くんですよ」
と屈託のない笑顔で返す彼女の表情に、嘘偽りは見られない。
兎も角、暫くぶりに復帰した仕事も順調だし、社長の芳野さんとは今まで以上に家族ぐるみで付き合わせてもらっている。
それと、この春生まれた娘、梢に対し、自分の分身であると同時に、法的にはそうではなくても、年の離れた妹のような奇妙な親近感を持つことは今でも払拭できないでいる。
問題なのは、件の風子が梢のことを隙あらば自分の所有物で有ると主張し、またそのように振る舞うことだが、椋は全く気にしていないようだし、これはあくまで些細なことだった。
――本当に岡崎さんは、今の岡崎さんが自分自身だと確証が持てますか?
確かに、時々は入院中に感じたような奇妙な記憶との解離を感じる事もあるが、だからといってその時のように自らが何者か肯定できない状態ではなくなった……様な気がする。
大体、
「俺の側にはいつも椋がいるじゃないか」
「何がですか?」
そう。こうやっていつも傍らには椋がいてくれる。そういう手に届く幸福がここにはあるのだ。
もしまた、俺が仮に俺以外の俺つまり、無数にある屍の俺の上を歩く俺の夢を見た脳だけになった俺が見ている夢の中の登場人物である、そんな疑念が湧いたとき……、
そんな時には今の俺はこう考えることにしている。
「椋に俺のことを肯定して貰えば済むことだからな」
〜fin〜