『狢』(むじな)
〜小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)『怪談』より〜

 今は昔といってもそれほど昔の話ではありません。
 そう言う語り始めはこの手のお話のお約束のふりです。
 舞台も、江戸の紀の国坂ではなくこの街のとある坂の話です。
 そう昔から、この街は怪奇現象がよく起きるのです。

 それは真琴のような妖狐の仕業なのかもしれません。
 その坂で極端に多発するのは、やっぱりあの子達の仕業なのでしょう。
 真琴を見れば分かりますが、あの子達は本来、悪戯好きなのですから。
 小泉八雲のいた時代より前の話ではないのか……と言われそうですが、百年前の話ではないのですよ。
 なにしろ私たちが知るこの現代に起きている事実なのです。
 その坂には灯りが街灯が二つだけ。頭上には木立のトンネルが鬱そうと繁っていて昼間でも暗い上に、その街灯の切れかかった照明には蛾か群がっていて、全体を明るくすることなどとうてい無理な相談でした。勿論、近辺の住民から市には苦情が上がっていたんですが、市役所は一向に手を打たないのです。人して不出来です。
 そもそも、そんな坂なので、その手の話には事欠かすことはなく、私が聴いた話では最後にその坂で怪奇現象にあったのは、先週の水曜日のことだといいます。

 それは、たまたま月宮あゆさんがフリースクールの帰りが遅くなって通りかかったときの話でした。
「うぐぅ……遅くなっちゃったよ。秋子さんも名雪さんも心配してるから早く帰らないと……」
 そこで相沢さんの名前が出ないのがおかしい何じゃないかと考えるかも知れませんが、相沢さんからは『栞の家に泊まる』という当初の予定があったので除外していたのでしょう。
 ……泊まってナニをするかに考えを巡らす私は、人として不出来でなんしょうか。

 ところで、あゆさんはというと……、なるたけ急いで帰りたかったので出来るだけ近道をしようと考えたのです。
 そして……
「……ここって、何か出るって噂の坂だよ」
 そう、その坂に差し掛かったのです。
「うぐぅ、やっぱり……なんか出たりするのかなあ」
 人一倍恐がりのあゆさんは、恐る恐るではありましたが、非常用に持っていた小型の懐中電灯を頼りにその坂に果敢に挑み始めました。
 坂の中程まで差し掛かると、なにやら踞って泣いている人影が一つ。
 しかし、その姿には見覚えがありました。
「栞ちゃん!?」
 そう、相沢さんの恋人の美坂栞さんその人でした。
 でも服装はどういう訳か、とっくに卒業したはずなのに学校の制服です。
「どうしたの?」
 と恐る恐る訪ねても、振り向かずにただ泣き伏せるばかり。
「栞……ちゃん?」 
 しかし、よくよく考えるとおかしいですよね。何故なら栞さんは、相沢さんと一緒に今頃は彼女の自宅にいるはずでした。やっぱりおかしいと思ったのか、流石のあゆさんも聞き返します
「あれ、栞ちゃん。今日は祐一くんと一緒じゃなかったの?」
 あゆさんは、どうしても気にかかり、彼女の名前を何度も呼びます。
 漸く、呼びかけに応じるように彼女はゆっくりと立ち上がり、あゆさんの方を振り向きます。そして振り向き様にそれまで顔を覆っていた両手をゆっくりと話したのです。
 すると……
「う、うぐぅ〜!?」
 そこには有るはずの目も鼻も口もなく、あるのはのっぺりした顔だけでした。
 あゆさんは一目散に坂の上まで駆け上がりました。

 何処をどうやって帰ったのでしょう。
 気が付くと、秋子さんの家に帰り着いていました。
 安心して家にはいると真琴が出てきて、
「どうしたのあゆ。血相変えて」
 あゆさんはことの経緯を話します。
「み、みたんだよ!? 真琴ちゃん!」
「何を見たのか知らないけど、夕御飯よ」
 妙に冷めた顔の真琴は、血相を変えて慌てふためくあゆさんを後目に、さっさと居間の方に下がっていきます。
 取り残されるのが嫌だったあゆさんは急いで後を追います。
 あゆさんがふとキッチンを除くと、秋子さんとそれを手伝っているのか名雪さんがキッチンに向かってこちらに背を向けていました。
「秋子さん、ボク見たんだよ! あの坂で……」
「何を見たのかしら」
 秋子さんはいつも通り、動じる気配もなくこちらに背を向けたまま答えます。
「し、栞ちゃんの……」
「栞ちゃんがどうしたの」
「か、かお……」
 あゆさんが全てを言い終わる前に、秋子さんと名雪さんがゆっくりとこちらを振り返ります。
「あなたが見た栞ちゃんは……」
 二人はゆっくりと顔を覆っている両手を離します。
「こんな顔でしたか」

 なんと、そこにあった二人の顔には、先ほどの栞さんと同じように、目も鼻も口もなく、ただのっぺりとした質感の肌があるだけでした……
「うぐぅ〜」 
 そして、そこにあった水瀬家は、にやにや笑う真琴と共に掻き消されたのです。

 件の坂の下で気を失っていたあゆさんを発見して保護したのは、たまたま通りかかった黒塗りの車でした。それは倉田家のもので倉田先輩と川澄先輩が乗っていました。
 これはあとから先輩から訊いた話ですけど、そのとき同乗していた川澄先輩が「コンコンきつねさん」という謎の言葉を現場で呟いたそうです。
 あゆさんはというと、暫くは怯えたままで水瀬家に帰るのを嫌がり、倉田家で三日ほどお世話になった後に漸く帰宅したということです。

 

 

 

 

 

 ところで……

 天野は人と話をするのに後ろ向きに話すのかって?
 確かに人としては不出来でしょう。
 だったら、こっちを向いて話せって?
 私にも事情という物があります。
 どんな事情か知りたいんですか? 栞さん。  
 相沢さんは、私が制服であることからして既に怪しいといわれるのですか?
 それなら仕方がないでしょう。
 でも先に言っておきますが、どうなっても保証は致しかねます。
 前置きは構わないからっと言われましてもこればかりは譲れません。
 なぜですかって?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故なら……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 〜おしまい?〜