幸福の構造
とある古書店で、私は古い革表紙の本を見つけました。
偶々立ち寄った小さな古書店。
古本屋といえばチェーン展開している大型店舗が当たり前となった最近では珍しいお店。散策中に見つけたお店で、商店街の外れの方の寂れた辺りにあり、こじんまりとした佇まいでした。
こんなところにこんなお店があるなどとは知らなかった私は、何となく興味が湧いてきました。ひょっとしたら、買いそびれて絶版になった一寸前のベストセラーなんかがあるかも知れない、私はそう思ってそのお店の中に入りました。
店内には、書棚に収まりきらず所狭しと本の山が築かれていました。その中の何冊かは知ったタイトルで、かなり前の人気ドラマや映画の原作になった本もあります。それ以外にも、サンリオや早川の銀背の他、ローダンと小松左京監修『雑学おもしろ百科』が全巻揃っていたのには驚かされました。
まるで宝の山の様な在庫の中に、その本はありました。
一際目立つ革表紙の一冊がそうでした。私は、何となくその本に惹かれ手に取ってみました。
装丁はしっかりしたもので紙も上質です。一部日焼けこそ有りましたが、他にいたみは全くありません。ただ、表紙のタイトルはその年月故か消えて分かりません。私は、恐る恐る適当なページを捲ってみました。
……蝋燭、に始まり、蛹粉やらなにやら怪しげな材料の数々。どうやら何かの儀式のあらましが旧仮名使いで書かれているようでした。
私は驚いて、店の奥のレジ奥に座る店主と思しきお爺さんに尋ねました。店主は、読んでいた競馬新聞から目を離して下にずらしていた眼鏡をかけ直すと、こう言います。
「お嬢さん。お目が高いねえそりゃ、昔に書かれた魔術書じゃよ」
「まどうしょ? ですか……」
元々、占い類や神秘的なものは好きで、趣味で学校時代は友達相手にトランプ占いなんかを披露していました。魔術書と聞いて興味が湧いてきました。でもそれを見せつけたら負けなので、多少疑ってみせるため、私は訝しげに聞き返します。
「大正年間に翻訳された本で、原書は明治初期の独語だか蘭語だかっちゅう話じゃよ」
安くしておくからという店主の言葉にのせられて、結局五千円の大枚を叩いて買ってしまったのです。
確かに興味深い本でした。
……とはいえ、日常生活にそれほど魔法の儀式が必要とも思えません。だから、読み終えた後、暫くは机の引き出しにしまっていたのでした。
数日間は何事もなく過ごしました。
それから一週間ほど過ぎた頃……
幼稚園の教諭をしている双子の姉が、私のアパートにやって来たのです。
「そんな大きな荷物持ってどうしたの。お姉ちゃん」
「暫く厄介になるから」
姉はそういうと自分の荷物を都合のいいように広げ始めました。
姉は、高校時代知り合った彼と同棲中ですがたまに遊びに来たりします。
それに、喧嘩のした時にも良くやってきて翌日には帰っていきます。
「また、喧嘩したの?」
姉はその問いに答えようとしませんでした。
翌日は私のうちから出勤していきました。さして珍しいことでもありませんから、そのままにしておきました。けれど、二日、三日ならまだしも、一週間過ぎても未だ帰ろうとしません。私も流石に心配になりました。ある日、姉から残業で遅いという連絡を受けました。そこで私は、姉がいないのを見計らって、姉のアパートの彼に電話を掛けてみることにしました。
トゥルルルルル……トゥルルルルル……
電話の呼び出し音は何度も鳴るのに繋がりません。
……時計を見ると十時を回っていました。彼の職場は残業が多いのは知っていましたがいくら何でも遅すぎます。
チッチッチ……
壁に掛けた時計の秒針の音が妙に鳴り響きます。
既に、呼び出し音は二十回を数えます。
「……彼ならいないわよ」
後ろから声がしました。
「あたしが……殺した……から」
振り返ると、果物ナイフを持った姉が私に迫っていました。その刃には渇いて変色した血液がこびり付いていました。
「お……お姉ちゃん。ざ……んぎょうだったんじゃ」
「あんただったとは流石に気が付かなかった……わ」
何かに取り付かれたような形相で、とても尋常な状況ではありませんでした。
私は、取りあえず手にしたコードレスフォンの受話器を投げつけます。それでも姉は怯むことなく迫ってきて、私の脇腹を刺してそれを引き抜くと不気味に笑いました。そこからは熱いものが流れ出てきます。でも、不思議と痛みは感じません。多分、その場の殺気と非日常的な現実に圧倒されて、痛みなど忘れていたのでしょう。
その場のものを投げつけながら、漸く浴室に逃げ込みました。
「この……泥棒猫」
そう罵倒しながら、ガンガンと浴室のドアを叩きます。
私は寧ろその理不尽な言葉は姉にこそ相応しい、そう思いました。
そもそも双子姉妹が同じ人を愛してしまったのが不幸の始まりだったんですから。そう、元々彼は私の……もの。それを私から奪っていったのは姉です。既製品で安普請の浴室のドアは、どうせ程なく破られてしまうでことしょう。正気を失った姉に取ってそれは、造作もないこと。そして、刺された後の出血量を見ると、私ももう長くはない。職業柄、それは直ぐに理解できました。
そこで私は、一計を案じることにしました。
先日買った魔術書にあった儀式の一つ。
まさか、自分の双子の姉に対して、――自らの半身に対して――使うことになるとは思わなかったけど……今はそんなことを言ってはいられません。
必要な物は水の張られたバスタブと魔法陣を描くための契約者自らの血、そして生け贄だけです。
契約者の血は……此処にあります。傷口からは思いの外血が流れています。水は、もちろん浴槽に張られています。後は……生け贄だけですが……
私は、記憶を頼りに、その血でもって魔法陣を浴槽の側面に描きました。何となく寒気がします。時々意識が遠のいていくのを何とか持ち直します。そしてドアは……今にも破られそうでした。
私は必死に呪文を唱えます。
なんとか呪文を唱え終わったとき、般若の形相の姉がドアを破って迫っていました。
そして、いよいよ最後の仕上げ……
「開け! 異界の門よ! 我を贄とし、そして彼の者をその門の彼方に封じ給えっ!」
通常の物理的現象ではあり得ない程急激に沸騰した浴槽の湯の中から無数の腕がのび、姉を絡み取りました。
「……さ……よう……なら、お……ね……えちゃん」
急速に薄れ往く意識の中で最後に見たもの。それは、異形の者と共に姉を飲み込んだ異界の闇が収束していく水面でした。
サングラスのストーリーテーラーは意味深な一言を残して立ち去った。それを背景に、定番スタッフロールが流れる。オムニバス形式の最後の話の主演はもちろん藤林姉妹だ。
藤林姉妹がスカウトされたのは、高校を卒業記念の旅行で上京したときだと言っていた。
たしかに、あれ程の美人姉妹が無防備に歩いていたら嫌でも目に留まる。もっとも、渚と汐には敵わないだろうが。そして、それから数年経つ今では、若手実力派女優としてとしての地位を確立している。演技力は某演出家による折り紙付きだ。
俺はテレビの電源を切ると、これから始まる一寸した厄介ごとを思いながら深く溜息をついた。
あいつらの迫真の演技は勿論見応えがあって良かったんだが……
しかしそれも状況に因りけりだ。
「しおちゃん、もう遅いから一緒にお風呂入りましょう」
「……おふろこわい」
「いい子だから、風呂に入ってくれよ……」
「こわいからイヤ」
みろ、汐が風呂を怖がって渚と二人がかりで説得しても入りたがらないじゃないか……
〜劇終〜