寒い日だった。雪の中、二人で走っていた時だった。偶然にぶつ かり、俺は足を止めていた。少女が雪の中に座り込んでいた。 「大丈夫か?」と声をかける。少女の顔がこちらに向けられ、目 が合った。何処かに影を潜めた表情。その表情をいつまでも覚え ていた。 学校の裏庭でその少女ともう一度遇った。そこにあの初めて遇っ た時の様な影は無かった。そして彼女は教えてくれた。 「美坂栞といいます。」 それからは良く裏庭で会った。何てことはない、数分の時間。今 ではそれが何にも変えられないモノだったのだろう。 彼女は変わった人だった。冬なのにアイスを食べていた記憶が色 濃い。そして学校に通っていなかったのだ。 「病気なんです。」 彼女はそう教えてくれた。 「早く良くなるといいな。そうすりゃ一緒に学校に行ける。」 俺が何気なく口にした言葉。ただそう思っただけ。それの意味す ら知らなかった頃。 「それでも・・・私と一緒に居てくれますか?」 或る日、彼女は俺に全てを話す。自分の病気の事を。不治の病。 あと一週間という限られた命。俺はそれを受け入れるという事 の意味を知っていた。それが如何に辛いかという事も分かって いた。それでも・・・ 「ああ。」 彼女を生きさせたい。長らく病院に閉じ込められていた彼女に、 この世界を楽しませてやりたい。そう思って俺は頷いた。 たった一週間だけの学校での生活。たった一週間の恋人。一日一 日が日常の様に溶け込んでいく。何時までもこの日々が続くと錯 覚させる程に。叶わないと知りながら、俺はそれを望んでいた。 最後の日に、彼女のお気に入りの場所へ行った。噴水の前。 「下手なんですよ。」そう言いながら彼女は俺の似顔絵を書いて くれた。何時までもそうしていて欲しかった。何時までも其処に 居てほしかった。 だけど・・・ 二月一日。 彼女の生まれた日。そして彼女が居なくなった日。 「もう一年か・・・」 俺は墓の前に居た。昨日の降った雪が纏わりついている。それを 手で払うと知った名が露になった。 『美坂 栞』 かつて、一緒の時間を過ごした人の名。現在(いま)でもまだそ こに居る様な気がする。現在でも一緒の時を過ごしている様な気 がする。そんな俺の考えを払拭する様に風が吹いた。 そう。 彼女はもういないのだ。精一杯生きたのだ。 膝を畳み、線香を灯らせ花を挿してやった。 「こんな時期に墓参りもないだろうに」。そう自嘲気味に誰にと もなく言った。 「いや、俺が忘れられないだけか・・・」 過去に縋り付くのは弱い事だと分かっている。もう戻ってこないも のを求めるのなら尚更だ。 それでも。 忘れたくなかった。いつまでも・・・ 顔を腕の中に埋める。墓とはいえ、彼女の前で涙は見せられない。 「有難う」 不意に声がした。目を適当に袖でこすって振り返る。一瞬、彼女と 見間違えそうになる。 「美坂か・・・」 俺が口に乗せたのは彼女の物ではなくその姉の物だ。美坂も自分の 横に同じ様に座る。 「こんな寒い日に来なくてもいいのに・・・」 それもそうだ。しかし俺は否定を返す。 「いや。今日はあいつの誕生日だからな。だから美坂もきたんだろ? こんな寒い日に。」 少々皮肉交じりに言ってみる。 「そりゃあそうだけどね。」 そう言いながら美坂も一本だけ花を挿す。静寂が降りた。 「有難う、って?」 立ち上がった俺は両手を合わせている美坂の背に疑問を当てる。美 坂は体勢を変えず答えた。 「そのままの意味よ。」 風が凪いでいた。 その後、美坂と別れて俺は独りで或る場所に向かっていた。彼女が 好きだった場所。彼女と俺との楽しかった思い出の場所。そして最 も辛い記憶の有る場所。 「変わっていないな・・・」 その場所に着き、流れる水を見て自然に言葉が出た。 一年前と何ら変わる事なくその噴水はある。それだけの事だが僅か に気持ちが揺らいだ気がした。安堵か。それとも嫉妬か。 少々辺りを散策して出店を探してみる。 案外簡単に見つかった。やはり日頃の行いか? 店の前に行き、注文する。こんな時に食べるモノと言ったら一つし かないのだが。 「アイスクリーム一つ。」 金を店員に渡し、アイスを受け取る。アイスの冷気が手に凍みた。 噴水の前に戻り、独り、アイスを食べる。傍から見ると随分と寂し い姿だったろう。尤も周りに人は居なかったのだが。 アイスを一口食べる毎に随分と沁みた。アイスの冷気ではない。 あいつとの思い出が、だ。一年前にはあいつも此処に居たというの に。二人だったというのに。 アイスを食べ終わる頃には随分と気分が沈んでいた。これが「弱い」 という事なのだろうか。だがそれでも良いじゃあないか。アイツを 忘れてしまうよりも、ずっと。 家へ帰ろう。 名雪の家に厄介になったのも一年とちょっと前だったが、未だに俺 はあの家に住んでいる。親が仕事の都合とか何とかで未だに越して きていないのだ。随分と無茶な親だと思う。特に構わないのだが。 「おかえりなさい。」 玄関をくぐると秋子さんが出迎えてくれた。構わないという理由の 一つにこれがある。居心地が良いのだ。 ただいま、と挨拶を返すとすぐに自分の部屋へ向かう。勘の良い秋 子さんの事だから表情だけで自分の気持ちを悟られそうだったから。 今の気持ちを誰にも知られたくない。その時は何故かそう感じて。 部屋に入り時計を見やる。まだ夕食までは長い。かといってする事 もなかった。いや、何もしたくなかったという方が正しいだろう。 俺はベッドに潜り、まどろみに身を任せた・・・ 夢を見た。 色の無い夢。 随分とはっきりした夢。 そこにはアイツが居て。 夢の中の俺は変に落ち着いていて。 「やあ。」とだけ声を掛けて。 「こんにちわ。」と返されて。 噴水が近くにあって。 二人でそこに座って。 雪が降ってきて。 アイツはこう言った。 「わたし・・・祐一さんの重荷になってますね・・・」 そんな事はない、と言おうとしても、口は言葉を紡がず。 「わたし・・・消えた方が良いのでしょうか・・・?」 代わりにアイツが次の言葉を紡いで。 俺は沈痛な想いに沈み、俯いていた。 「じゃあ、わたしはもう行きますね・・・」 酷く寂しい笑みを浮かべ、アイツは立ち上がった。 「待ってくれ!」 俺は叫んでいた。 「俺はお前と居たい。ずっと一緒にいたいんだよ。重荷になんてなっ ていない。俺はお前と居たいだけなんだ。・・・せめて記憶の中だけ でも・・・」 「だけど祐一さんは苦しんでいるじゃないですか・・・わたしはそれ が辛いんです。」 アイツは困ったようにそう言った。 「今の祐一さんは嘗てのわたしと一緒です。わたしが自分の命を断と うとした時の。そんな祐一さんを見たくありません・・・」 もう何も言えなかった。 アイツの姿がどんどん遠くなって。 呼び止めることもかなわなくて。 辺りに色が戻ってきて。 声が聞こえてきて。 「どうしたの?祐一・・・」 目を開けると顔があった。 「名雪・・・」 俺はその名を呼ぶ。 「ご飯だから呼びに来たんだけど・・・どうしたの?随分と魘されて たよ。」 時計を見ると確かに夕食の時間だった。半身だけを起こし、口を開く。 「魘されてたか・・・」 「うん。何度か人の名前を呼んでた。」 「栞、ってか?」 「そう・・・」 あれは本当のアイツだったのか。それとも俺の意識が勝手に作り出し たアイツなのか。それはどっちでも良かった。ただ夢の中の言葉を頭 の中で反芻する。 ----今の祐一さんは嘗てのわたしと一緒です。わたしが自分の命を断と うとした時の。そんな祐一さんを見たくありません・・・---- 夢の中でアイツはそう言ったのだ。せめてそうしよう。もう、アイツを 思い出して沈むのは止めよう。忘れるんじゃない。楽しかった思い出と して胸の内にしまうのだ。 「どうしたの?祐一。ぼーっとして。」 「ああ、すまん。さっさと飯を食いに行こうか。」 「うん。」 二人で部屋を出て、階段を下りる。 「なあ、名雪。」 「ん?何?」 「明日、百花屋にでも行かないか?奢るからさ。」 「本当?行く行く!だけど珍しいね、祐一から行こうなんてさ。」 「何となくな・・・」 終