〜瞳の中のあなたへ〜
「みさき!」
その話を持ってきたのは親友の雪ちゃんだ。
本名は深山雪見といい、ずっと小さい頃からの友達。もっと簡単に言えば幼なじみだ。
「取引先の常務から聞いた話なんだけど……」
いつもの雪ちゃんよりもずっと上擦っているような気がする。何かをすぐにでも伝えたいのだろう。
「どうしたの雪ちゃん。焦らなくていいよ。わたし逃げたりしないから」
「そうよね……。麦茶いっぱい貰うわ」
とんとんとん、と台所に向かう音。勝手知ったる他人の家と言う感じなんだろう。現に、三日と開けず遊びに来てくれる。
「はい、みさきの分」
そう言って頬に押しあてられたわたし用のコップはひんやり冷たかった。水滴が付いていたんだろう。頬には水分が残っている。
「ひどいよう雪ちゃん……」
突然の冷気に対して心の準備が出来ていなかったわたしは、そう言って拗ねて見せた。
「あ、ごめんね」
そう言う声は妙に弾んでいた。一寸した出来心で画策した悪戯が、十分な効果を得たためだろう。
「……もういいよ、それで雪ちゃんのお話ってなに?」
「そうだったわね。みさき驚かないで聴いてね。実は……」
雪ちゃんが持ってきた話は彼女の「驚かないで」と言う言葉とは裏腹に、とても平常心ではいられない話題だった。とある企業が医療用のある物を開発して、それの永久モニターを募集しているという。
そのある物とは……。
『人工網膜を中心とする眼窩に収容可能な人工眼球複合システム』
「雪ちゃん。それって……」
「見えるようになるのよ! ただし、条件を満たせばだけどね」
雪ちゃんが聞いた条件とは……
1.指定医療機関での手術入院。
2.最初の手術後最初の1ヶ月間の入院による使用データの提供。
3.三ヶ月間の一週間毎の指定医療機関でのデータ提供。
4.以降、三ヶ月おきの指定医療機関でのデータ提供義務と一年ごとのメンテナンス。
それさえ、満たせば手術及びそれ以降これに関する費用は全て開発企業持ち。バージョンアップも企業持ちで受けられるらしい。モニター募集は十名。雪ちゃんの会社は良くして貰っているからと、その企業から特待扱いで一名枠が割り振られたんだという。
「……本当にいいの雪ちゃん」
そんな幸せが今になって舞い込もうとは正直信じられなかった。
「なに言ってるのよ。みさきだからじゃないの」
いつもそう言って彼女は無条件で支えてくれる。ひょっとしたら、わたしはこのままでも幸せなのかも知れない。
「他人に譲ろうなんて馬鹿なこと考えてるんじゃないでしょうね」
「雪ちゃんにはお見通しだね」
「何年幼なじみやってると思ってるのよ……」
何でもお見通しな雪ちゃん。また、いつか機会があったら恩を纏めて返さないとダメだよね。
「いつか恩を纏めて返そうなんて考えないの。分かってないわね、みさき。あんたは居るだけでわたしの支えになってるんだからね」
多分、この人にだけは一生敵わない。
一生のうちに何人かいる生涯の友達って、雪ちゃんのことを言うんだと思うよ。
「それで、手続きや何かはどうするの」
「その辺はもう抜かりないわよ。済んでるから。後は本人の同意だけだったから、みさきに都合が付くなら、明日にでも入院できるわよ」
昔から手際が良いのは分かっていたけれど、ここまで段取りを済ませてあるのには流石に舌を巻いた。
早速、二人で荷物を纏め翌日にはその病院の病室にいた。医者さんとの打ち合わせの末、雪ちゃんが読んでくれた最終同意書に判を押し、翌日に手術が決まった。
その日の夜は寝付けなかった。
……光を失った日。
わたしが見た最後の世界は、もう十数年も昔だ。
最後に見たドラマの最終回……『あんまり面白くなかったよ』と伝えてくれたのは雪ちゃんだった。
けれど、本当にそうだったんだろうか……。やっぱり気を使ってくれたんだろう。
思春期の多感な時期に闇を過ごしたわたしは、光りの世界に戻る事が出来ることに期待と不安が混ざり合って、白黒のマーブル模様を頭の中に描いた。
変わったんだろうな……雪ちゃんもわたしも……。そして、世界も……。
雪ちゃんと帰りがけにした会話を思い出した。
「みさき、最初に見てみたいものある?」
「……何でもいいの?」
「わたしが何とか出来ることならね」
「それじゃあ、フランスの大統領にしておくよ」
「み・さ・きぃ〜。わたしを何だと思っているのかなぁ〜」
ぐりぐりぐり……雪ちゃんはわたしの頭を拳でグリグリ押さえている。
「独逸の首相でもいいよ」
「……本当にそれでいいのね。だったら、サミットの集合写真載ってる雑誌持ってくるけど。それでもいい」
なんだか、疲れたような溜息をついて言う。声がマジではないのであのくらいならまだ平気なんだと安心する。
「それじゃあね……」
気が付くと眠りの淵。
熟睡して起きると、すでに雪ちゃんとお医者さんの声がした。
「お早うみさき。よく眠れた」
「うん」
一時間後、手術室には麻酔で眠るわたし。そして数時間が過ぎて目が覚めたら何かが頭に捲かれている気分。そして、目の中に何か異物が入れられたようなゴロゴロした感覚がした。
「みさき、気が付いた?」
「雪ちゃん……お早う。なんだか目の中が変な気分だよ」
「取りあえず、三日ぐらいしたら包帯がとれて見えるようになるってそれと、その変な感じもそのうち慣れるって言われたわよ」
それならば多少は我慢できる。何より、光りがわたしの物になるのであれば、多少の不自由は堪えるべきで、それ以上は望むべき物ではないのかも知れない。
「なによ神妙な顔して」
「恐いよ……」
「なにが?」
「見えることが恐いんだよ」
見えている人には分からない言葉だろう。でも、やっぱりわたしには、見えるようになる嬉しさと、見えるようになる不安の二つがある。それはどうしようもないとだった。こればかりは雪ちゃんにも伝えようがない。
「……そうかもね」
雪ちゃんの溜息が聞こえた……。
……三日後。
「経過も順調だし、それじゃいってみるかい」
先生の言葉に頷いたのが昨日。
そして、今日、包帯が外される日だった。雪ちゃんの気配はしない。この間のわたしが「恐い」と不安を口にしたのがいけなかったのかもしれない。それよりも、仕事で都合がつかないと考えるのが自然だろう。ひょっとしたら、わたしは彼女に見捨てられたのかも知れないな。それならば、迷惑ばかり掛けてきた報いだ。これが、彼女の置き土産だと思って諦めよう。
一周……
二周……
少しずつ包帯が取り去られていく。
「それじゃあ、勇気を出して目を開いてごらん」
ぼんやりと光りが入ってくる。あの日以来、わたしが憧れていたものだ。
画像が結ばれていくと目の前に指が見えた。
先生の指。
「これ何本に見える」
「一本」
「それじゃこれは……」
雪ちゃん来ないのかな……。雪ちゃんと二度と会えないことを代償にする光りだったら、こんなものいらない。
自動的に答えて、十本でパーが二つになったとき、先生はわたしの視界から消えた。
代わりにそこにいたのは……
『はじめましてなの』
そう大きく書かれたスケッチブックを抱えた小柄な若い女性がにっこり微笑んでいる。童顔で、幼さが残る彼女は、綺麗……というよりは、可愛いとか、チャーミングと言った感じがする。大きなリボンがそれに拍車を掛けていると言った感じだ。
「はじめまして……だよね」
わたしは見えなくなるまでの記憶の中にその子の姿を照らし合わせるが該当する物がない。
『ほんとうは違うの……』
寂しそうな彼女同様、書かれた文字も寂しそうに少しだけ小く震えていた。
「なにが初めましてよ」
ソバージュがかった髪を掻きながら女性が焦れったそうに入ってくる。
「えっ! 雪ちゃん!」
わたしの記憶の中の雪ちゃんに数年分の年月を情報に加えて修正する。年相応の雪ちゃんとして修正された彼女は、わたしの中で何とか納得できた。でも……
「その子は分からないよ……」
「リクエストに応えたのにがっかりだわ……彼女のスケジュール調整するの大変だったのよ。ねえ、上月さん」
『……そうなの』
こうづき、上月……そうだ。上月澪ちゃん。
リクエストしたことをすっかり忘れていた。
最初に彼女の笑顔を見たかったんだよね。
「ごめん、澪ちゃん」
『分かってもらえたからいいの』
にっこり。
あっ笑った。これが澪ちゃんのいつも通りの笑顔なんだ。リクエストして本当に良かったと思うよ。
「それじゃあ改めて……」
……だから、そこからはじめる為に、わたしたちの時間を動かすために勇気をだすことにするよ。
〜はじめまして、澪ちゃん〜