〜微笑みのバランス〜


「……んなこといったってねぇ、あたしわぁ〜」
 
「秋風に浸みるのは財布の中身と世間の風とはよく言ったものよお〜」

 良くある居酒屋のチェーン店。
 女二人こうやって飲み明かさなきゃやってられない原因はあたしの手の中にあった。
 『僕たち、結婚しました〜(はあと)』
 という、すっとぼけた暑中見舞いを送ってきた差出人の名前は「春原陽平」という。
ご丁寧に、定番のアロハシャツを着て、奄美大島だか、石垣島だかでピースサインをして写っている妙にムカつく写真だった。見るからにバカップルぶりを、このまだまだ暑いときに送りつけてきた。

「信じられる〜! あのヘタレがよお〜、何様のつもりよお! このあたしを差し置いてえ……」
「はは……。それは言い過ぎなんじゃ……」
「いいわよねえ。あんたはもう売約済みだもんねえ」
「……!」
 
 妹は、頬を赤らめながら拗ねて膨れた。まるでギター河豚みたいに。
 同棲中の彼氏と先頃婚約したばかりの妹をからかってみても、何となく虚しかった。
 妹も考えてみると大胆だ。ほとんど強引に、彼を牽引して、堕ちこぼれを地元大学に合格させてしまった。勿論一浪だったけど。それよりも凄いところは、自分の希望した看護科を蹴り一浪まで付き合って同じ大学に進む……そこまでの度胸はあたしには真似できない。
 行き遅れ……まだまだそんな年じゃないけど、あのヘタレといい、妹といい……。この釈然としない敗北感は、どこにぶつければいいんだろう。飲みに誘う人選を誤ったかも知れないと遅めのを後悔した。

「ねえ、ものは相談なんだけど」
 妹に言う。
「なんですか」
 妹は、何の警戒心も見せずに、私の方を見つめる。
「あんたの彼氏くんない?」 
 妹の様子をよく観察する。微笑みのバランスが、一瞬にして焦りに変わる。何を言われたのか漸く理解したらしい。
「ゑゑっ!?」
「だからあ〜、朋也ちょう〜だい」
 酔ったふりをして絡んで、勿論、心の中ではにやりと笑って舌を出している。
「お姉ちゃん、酔ってるでしょ。飲み過ぎですよ」
 くすりと笑いながらそう言う妹の目は、全く笑っていなかった。
 これしきのアルコール量で酔うほどのあたしではない。しかし、妹を怒らせるととても厄介だった。この間など、一寸した口論で二週間ほど口をきいてくれなかったほどだ。ここは妹の作ってくれた逃げ道に載ることにするしかなかった。
「あ〜に〜よ〜、あ〜だあ〜だこうえ〜かあらあんだか〜あ〜」
 ……なんだか、あたしの存在が莫迦莫迦しくなってくる。妹でも誘って、愚痴をこぼせば少しは気が晴れるかと思っていたけど……かえって気が重くなってくる様な気がする。
 悪酔いするのが分かっていながら、日本酒、酎ハイ、ウイスキー水割り……チャンポンで胃の中に治めていくと、二時間過ぎる頃には本当に出来上がっていた。
 ……足腰が立たない。それ以上に猛烈に眠気が襲ってくる。

「お姉ちゃん、ここで寝ないで〜」
眠りにつく前、最後に目にしたのは、困った顔の妹が、あたしを揺り起こしながらどこかに携帯をかけているところだった。


「ん……んん〜。よく寝た」
 揺り籠のような心地よい振動の中で目が覚めると、何かがさっきまでと違う。
 足が地に着いていない。
 なんだか暖かい。それが人の体温だと気が付くまでに時間はかからなかった。
「なんだよ、目が覚めちまったのかよ」 
「何だって事はないでしょ……って、朋也!?」
「今更、驚くことでもねぇだろうよ」
「椋は?」
「先にアパートに帰った」
「……そう」
 夜風に触れながら、妹の婚約者の背中に揺られていた。
「それでなんで、あんたにおんぶされなきゃ為らないのよ」
「なら歩いて帰れ」
 彼は、路地の隅で、あたしを降ろそうとする。
「貸しにしといてあげるわよ」
「妙に素直だなよな」
「これでも、遠慮してるんだから……」
 彼の背中に顔を押しつけながら言った。
「椋には」
「俺には遠慮なしかよ」
「吐くけどいい?」
「まて、降ろしてやるから……」
「いいわよ」
 少しだけまだ酔ってるふりをして
「ねえ、朋也。なんで椋を選んだの」
「杏がけしかけたんだろ」
「だったら、止めたらいいでしょ」
「あの時は、命が惜しかったのもある」
 うんうんと一人で頷いて納得している彼が可笑しかった。
「でも、それだけじゃないのよね」
「……かもな」
「だったら、あたしを選んだ?」
 うーんと考える風でもなく、あっさり答えは返ってくる。
「そりゃ無いな」
「なんでよ」
「確かに、おまえと話してると楽しいけど、どっちかって言うと恋愛じゃねえんだよな。椋といると何かが違うんだ。和むって言うか、……」

 彼の心の透き間にあたしが入り込む余地はなさそうだ。

「はいはい、ごちそうさま」
 街灯の明かりに照らされた場所が家の近所だと言うことに気が付く。
「もう此処でいいわ」
 歩いて、二、三分と言ったところ。
 背中からは、降りたが彼は家までは送ってくれると言う。こういうところがあるから、好きになっちゃっうのよね……。でもね、それで妹の彼氏に本気になるほど、子供じゃない私に気付いてとても哀しかった。

 彼を送り出してから、妹のアパートに電話を入れた。
「あんたのダンナ、借りちゃってごめんね」
『てっきり、朋也は貰ったわって電話が来るかと思ってました』
「はあ〜。あんたあたしをなんだと思っているのよ……。でも、それで椋は許つもりだったの?」
『多分……、そのあと何ヶ月かして、二人分の白骨死体が丹沢山中で発見されることになりましたよ』
 妹の引きつり笑いが見えるような気がして薄ら寒かった。
「……よかったわ、妹を犯罪者にしなくて」
『……ごめん。本当はお姉ちゃんと朋也くんを試したんです。お姉ちゃんが変なこと言うから……』
「大丈夫よ。朋也にはあんたしか見えてないから。あたしが保証する! もし、椋以外の女に靡くようだったら、あたしが朋也を宮ヶ瀬ダムに沈めるから」

 ……。

 電話をしてから暫く考える。
 
 あたしに無かったもので妹が彼に与える事が出来たもの、それが何か今、何となく分かったような気がした。もし、それを「愛」って言葉で一括りにしてしまったら何となく安っぽい気がする。
 完成品ではないけれど、二人の中ではもっと深い感情なんだと思う。
 それじゃあ、高校時代から、あたしが彼に抱いていた感情はいったい何のかと振り返る。
 ……甘酸っぱいような煮え切らないその気持ちが、「恋」だったんだと自覚したのが決定的に振られた後だというが我ながら滑稽だ。

 取りあえず、あのヘタレへの冷やかしの言葉でも考えてみましょうか。

 それが、今の私に必要な「微笑みのバランス」だから……

〜fin〜