〜あまやどり〜 (1) 「浩平…雨降ってます」    PCショップからの帰り道、雨が降りだした。 俄雨。日は照っているのに雨が降っている。 「…まいったな、傘持ってないぞ」  突然の天気雨に、生憎二人とも傘の持ち合わせは無い。 このままでは、歩いている間に二人ともずぶ濡れになる。そして、 折角の新品のノートパソコンも水浸しになり台無しだ。 「あそこに入りませんか」  里村茜が指した方に視線を移すと、丁度良いところにこじんま りとした喫茶店があった。 「そうだな…」  折原浩平は、後のことを考えると荷物をかばいながら行くより は結果的にましだと思い、すかさず二つ返事で賛成する。 もしこれから、降り続くようなら近場の此処から近場のコンビニ に行けばよいのだから。 (2)〜1 …カラカラカラ…二人が入り口をくぐると、 「いらっしゃいませ」と女性の声で迎えられた。 店内は、落ち着いた色調の調度品で統一され、静かな曲が客の邪 魔にならないようにかかっている。店内の客も2〜3人居て、そ れぞれ思い思い事をしているが、店の雰囲気を損なうことはなか った。  カウンター席と幾つかのテーブル席があり、二人が案内された のはテーブル席の方だった。従業員は二人らしい。声をかけてく れたのロングヘアー女性。そして、カウンター内の人の店主。店 主は人が良さそうに見えた。案内してくれた女性は注文を訊いて からカウンター内のキッチンに戻っていく。 「良いお店ですね」 茜は此処が気に入ったらしかった。 「そうだな。」 珍しく、しみじみと頷く浩平に、 「こうやって向かい合って話しをするのがいいです」 と茜。 「通ならカウンター席だ」 「…浩平の顔が見えません」 …茜は俯いて頬を染めた。  やがて、ベルギーワッフルと紅茶のセットが二人分二人の席に 運ばれて来る。 驚いたことに運んできたのは、先ほどの女性ではなく、店主の方 だった。 店主は、「ごゆっくり」とだけ言うと、カウンターに戻っていく。 先ほどの女性はと言うと、カウンターの中で後の仕込みに入って いた。  ダージリンの鼻腔をくすぐる香り。  茜と浩平は、どちらからというわけでも無く、カップの紅茶を すすった。 「…美味しいです」 「このワッフルも、甘すぎず丁度いい味だな」 「上品な味ですね」  やがて、二人のカップの紅茶が無くなると、一緒に持ってこら れた、お代わり用の陶器のポットに自然にてがのびる。  外は相変わらず雨が降り続いていて一向にやむ気配がなかった。 「やっぱり、傘買ってくる」 「…早く戻ってきてください」 「善処する」  浩平は、荷物をそこに置いたまま、茜を残してレジに向かい、 先ほどの女性に簡単に事情を話す。すると、快く近場のコンビニ を教えてくれたうえ、 「よろしければどうぞ」 と傘まで貸してくれた。 「有り難う…あれ。この傘どっかで見たことがあるな…」  女物のピンクの傘だった…  傘をしげしげと見つめてふと心に蟠りを感じた。 「何処にでもある既製品の傘ですよ」  そう言われると、それ以上突っ込むことも出来ずそのまま、差 していくことにした。  浩平が、雨の中をピンクの傘を差して雨の中に消えると、店主 が何かを持って茜のところにやって来た。  茜は、ぼんやり窓の外の雨を、…浩平出かけた雨の街路を見つ めている。 「雨は…お嫌いですか?」 店主がそう言うと、 「どうしてそう思うのですか…」 突然の質問に驚いて逆に聞き返した。 「何となくですよ」 今度は、店主も窓の外を見ながら 「まあ、雨好きなどなかなか居ませんけどね」 悟ったようにそう言った。 「悲しい…想い出がありますから」 茜は、店主言うでもなく呟いた。 「待つのも、余りお好きでないようですね」 「…」  茜は胸の奥に眠る記憶を見透かされたように思えて何も答えら れなかった。 「あ、折角のものを忘れるところでした。」 店主は場の流れを変えるためにか、持参した皿とミニグラスを茜 の前に置く。 「当店オリジナルの果実酒と、試作品ですがこれ如何ですか?」 「…ありがとうございます」 茜は、テーブルの上に置かれた果実酒と試作品のワッフルを見つ めた。 「…これは?」 「ああ、妻が考案した奴なんですがね…」 店主は先ほどの女性を見ていった。女性は軽く会釈する。 茜も会釈で返す。 店主は苦笑しながら言った。 「…普通はお客様にお出ししないんですよ」 「どうして、私に?」 疑問に思った茜の質問に、 「妻がどうしても貴女にといってきかないもんでね…」 あの女性がカウンターの方で微かに微笑んでいた。 「…頂きます」  もともと、茜は部類の甘党で、山葉堂のワッフルを一通り攻略 したぐらいの強者だ。甘党を自他共に認める浩平すら断念した劇 甘ワッフルを、いともたやすく「美味しい」と言って食してしま うほどのワッフル好きでもあったから店主の差し出した「試作 品」に手を着けないはずもなく… 「美味しいです」と簡潔にそして、本当に満足げに感想を述べる。 「…そう…ですか」 店主は引きつり笑いを浮かべて言う。 「でも、これは山葉堂の味に近いです」 そうまさに「劇甘ワッフル」だと茜は思う。 「そうなんですよ、どうしてもアレを再現すると言って聞かない ものですから…」 と言って苦笑する店主。 「でも、美味しいです」 「そう言っていただけると嬉しいんですが…あれ、お一つ残され るんですね」 店主は気がついてそういうと… 「浩平の分です」 とさらりと言う 「そうですか…お気の毒に…」 店主が心底気の毒そうに苦笑したその意味に、茜は気がついてい なかった。 カラカラカラ…  入り口の鈴が鳴る。 「あっ、これ助かったよ」  浩平が戻ってきたのだった。その手にはビニール傘二本。  カウンターの女性にそう言ったのが聞こえた。 「そろそろ、お開きのようですね」 店主は茜に軽くお辞儀するとトレーを片手にカウンターに戻って いく。 「おっ茜、待たせたな」 いつも通り陽気に声をかける浩平。 「もう、待つのは嫌です」 ワザと不安げに拗ねて見せた、茜に 「待つのは嫌か…確かにそうだよな…ごめんな」 「これ、食べてください」  茜は、先ほどの試供品を浩平に差し出した。浩平は、一目それ 見て妖しげなオーラを感じ取った。 「…仕方ない」と無意識の呟きを茜に聞かれてしまう。 「どうして仕方ないのですか…美味しいのに」 少し悲しそうだった。茜がそこまでいうならと、意を決して浩平 は一口… 「…」  やはり、予感はあたった…アレだった。オーラは危険信号だっ たのだ。カウンターに目を転じると、店主が本当にすまなそうに 苦笑していた。 浩平はやむ終えず、冷めた紅茶の残りでワッフルを流し込んむ。  そして、一言 「茜…帰るぞ」というと浩平は、ノートパソコンの箱を手にとっ て立ち上がった。 「…はい」 茜も、やや名残惜しそうに席を立つと浩平に続く。 (2)〜2  当たり前のようにのように浩平が二人分の会計を済ませて店を 出ると、茜が空を見つめて待っていた。皮肉にも雨激しいは止み、 雨上がりの空には薄く虹が架かっていた。 「浩平…」 浩平に気付いた茜が言う。 「虹、綺麗です」 夕映えに虹。 「傘要らなかったな…」  虹に魅せられ佇む二人はあたりの小さな変化に気付かない。  そして、何事もなかったように茜と浩平は、夕日の先にある二 人のアパートに向かって並んで歩き出した。  それから数日後もう一度、二人であの喫茶店を訪れた。しかし、 そこにあったものは、全く別の店だった。そこの従業員も店主も、 「そんな店など知らない、前から此処で営んでいる少なくとも此 処二、三年」はと言う答えが返るばかりであった。    それから、茜と浩平の二人は機会を見つけては幾度と無くあの 喫茶店を探してみた。 しかし、結局見つからず徒労に終る。そして… (3)〜1  …幾年月が過ぎ…    「…茜、会社辞めてきた」  小学校に上がったばかりの娘を寝かしつけた茜が、浩平からの 聞いた突然の帰宅第一声はそれだった。  「…浩平、いきなりどうしたんですか」  茜は、問いつめるのではなく気遣うように問いかけた。  「そろそろ、言おうと思っていたんだけどな…」  浩平が言う  「はい」  「喫茶店、開くことになった」  意を決した浩平の発言に茜は、  「…はい」  と呆気にとられて答えるしか術はなかった。   (3)〜2   喫茶店の場所はあの場所だった。  前の店が辞めたらしい。…というか、辞める気配があったのを 察知し、浩平がいち早く手を回したらしい。   「へえ、それで茜、あんたそれ認めちゃったって訳ね」  …はぁ、と溜息をついて見せたのは、茜の幼なじみ柚木詩子だ った。浩平に言わせると、「腐れ縁の極み」だったが、それでも 上月澪と共に常連第一号として最初から定着している。もちろん、 店の宣伝にも一役買っている。だから、本来なら頭が上がらない はずであるが、浩平や茜、そして詩子、澪の性格から高校時代以 来のこなれた付き合いが続いていた。  店の経営はというと、茜が堅実さと、浩平のそれなりの努力で、 それなりに順調で、家族三人が食うに困らない程度には成り立っ ていた。  中でも、浩平が入れる茜仕込みの紅茶と、上品な甘さのワッフ ルは好評だった。 「…はい、私も好きですから」 「…はいはい、ごちそうさま…つくづく茜も苦労性よね…」  人がいったん途切れる午後のひととき。いつものように営業と 称して入り浸っている詩子と、久しぶりのオフで先ほどやって来 た今や中堅女優の上月澪の二人。 『やっぱり美味しいの』 手話と、会話用の大版手帳を駆使していう。 「気に入って貰えましたかな」 営業用の口調で、意地悪く浩平が澪に言う。 『浩平じゃないの…』 少し寂しそうに言う 「まっ、一応商売だからな。でも、澪に喜んで貰えると嬉しいよ な」 「あら、あたしじゃダメなの…ひどいわ折原君…私とのことは遊 びだったのね」 嘘泣きの詩子が言うと 「柚木のは見え見えなんだよ」 「ちっ、ばれてたのね」 「当たり前だ、それと茜の前で紛らわしいことを言うのは辞めて くれ…」  舌を出す詩子に浩平は軽い突っ込みを入れた。  外は、先ほどから雨がちらついている。  それまでは晴れていたから、それ程降り続きはしないだろうけ れど、雨宿りの客ぐらいは期待できそうだと浩平がそう思った思 った矢先に、大学生ぐらいの、カップルが入ってきた。  男性の方はなにやら、段ボールを持っている。どうやら、ノー トパソコンの箱らしい。   「いらっしゃいませ」茜はいつも通りの接客でメニューを片手に テーブル席へ案内した。 「あれ、昔の折原君と茜に似てない?」『似てるの…』  詩子と、澪が同時にそう言う。 「そう言えば…」  茜の持ってきた注文の品を用意しながら浩平もそう呟く。そし て、戻ってきた茜をカウンターに残すと、 「おれが行って来る」といって品物を持って彼らの席に向かった …。 (4) 「不思議なこともあるんだな」  浩平は、例ののカップルが帰った後、下ごしらえをしながら誰 に言うでもなく呟いた。 「…そうですね」   茜も、詩子と澪も先頃の出来事を振り返って狐に摘まれたよ うに黙り込んでしまった。  あの二人は、あのときの茜と浩平だった。 例のカップルの青年が傘を買いに出かけると、浩平は茜が焼いた 特製ワッフルを持って残った女の子のところに行く。 『雨は…お嫌いですか?』 『どうしてそう思うのですか…』 『何となくですよ』 『まあ、雨好きなどなかなか居ませんけどね』 『悲しい…想い出がありますから』 『待つのも、余りお好きでないようですね』 ……… 茜が見たものは、まさに、あのときの自分と店主の会話の再現だ った。 「理由は解らないけど、あのあんた達がいて、今があるんでしょ だったら良いんじゃないの」詩子が言う。  『むずかしいの』 澪は相変わらず混乱している。 「そうかもな」「そうですね」 茜と浩平は同時に言う。 「あら、嫌に素直よね…」拍子抜けしてしまう詩子。    日常に埋没しそうな逢魔が時の悪戯だったのかも知れないけれ ど、詩子の言うように、あのときがなければ、今こうして喫茶店 なんかやっていないだろうし、もしそんなことを言っても反対し ただろう、多分…茜はそう思った。 …カラカラカラ 『お客さんなの』と澪。 「あの、あかねさんのお店は此処でしょうか」 ショートカットの似合う女性と連れの男性。 「まあ、店の名前はakaneだけどね…」と浩平 「しおりさんお久しぶりです」と茜 「あっ旦那連れてきたのね、こないだのオフ会で盛り上がったか らね」詩子がいう。 『おひさしぶりなの』 「初めまして、相沢祐一です」  再びの喧噪が短い不思議なひとときにから、現実に引き戻す。  そして、また日常が流れ始める。それで良いんじゃないだろう か、ふと、茜はそう感じた。            〜劇終〜