真実を映さないもの。
 時として主観による虚像を映すもの
 それは……



 『鏡』




 朝の身支度でリボンを結ぶとき、映された右手は左手になる。
 この上ないもどかしさを感じながら、上手くまっすぐに成らないリボンを合わせ鏡で覗き込む。
 そうやって真後ろを映してもみても、これも虚像のような違和感を感じる。
 反対の反対は決して元の姿ではないのだ。
 ましてや、あの時と同じ目印を付けてみてもこれと同じようにあの時の自分自身ではない。
 分かってはいたけれども自分はそうしていなければいられない。
 これが今の自分の在るべき姿なのだから 

 ふと思い直してリボンを解く。
 何も付けていない自分の頭は何か間が抜けて寂しげだった。
 自分も彼女と同じように髪を長く伸ばして編んだなら、彼は振り向いてくれるのだろうか? 
 しかしそれはあっさりと否定されている。自分自身によって……
 彼が彼女の側にいるのは、あの長い髪のせい何かじゃない。そんなことは理解しているつもりだ。
 彼にとっての自分は、無邪気な「いもうと」でしかない。
 でも、彼のそんな気持ちにすら寄りかからなければ、無邪気な自分を維持することなんかもう出来ない。
 そして、彼の心の大部分には、もう彼女が住み着いているはずだ。
 彼女が受け入れようが拒もうが、もうそれはどうすることもできない確固たる事実だ。

 時々、彼があの時の男の子じゃないかと考える。
 食堂で見つめられた彼のその瞳には、そう直感させるだけの根拠があった。
 その澄んだ輝きの奥底にある深い憂い。
 それは、あの時の男の子を否応なく連想させたからだ。
 案外、それは当を得ているのかもしれない。
 でも、彼はそれを憶えていない。
 だからそれを自分から訴えることは出来ない。

 自分がそう告白したら、きっと彼は自分を受け入れてくれる。
 でも、彼女の哀しみはどうなる。
 彼女も彼のことが好きだというのは、彼女自身気付かなくとも何となく伝わってくる
 そして、自分も彼のことと同じくらい彼女のことも好きだった。
 
 だから……、
 彼女も傷つけたくはない。

 溜息を吐いて、
 そして全ての思いを心の奥底に押し込んだ後、もう一度リボンを結び直す。
 いつもより少しだけずらして……
 これが今、自分に出来る唯一の主張。
 
 鏡は全てを反転させて表裏を映し出す。
 そこで支配するのは全て主観に基づいた虚構だ。
 でも、そこに映された虚像に、自分の本心や全ての物事の本質を見抜いている様に思えてならない。
 そして、もう一度だけ溜息を吐いて……
 そこでの仕上げはみんなに見せる為のいつも通りの無邪気な笑顔。

 そう……
 
 これで今日の儀式は全て終わりだ。
 ここからの自分は対外向けの自分。
 深呼吸をしてもう一度それを覗き込んだ。


 そこに映る左右対称の微笑みの虚像は、いつも通り少しだけ歪んでこちら見ていた。



 〜fin〜