10秒の奇跡  『ボクのことを忘れてください…』  どんな奇跡が、あゆをこの世に存在させていたのかは分からないけど、確かに存在してた、彼女のぬくもりを俺は、忘れることができなかった。  七年前、あの大きな古木の学校で、気まぐれな風があゆの小さな躰を宙に舞わせ、そして…。   自ら封印した記憶を紐解くとき、俺は無意識に日常の中ニ彼女の片鱗を探していた。 そう、忘れられるものか。 日常は流れていく。 名雪や秋子さんの気遣いが俺にはとても有り難かった。 ようやく、傷口が癒えかけた頃… 遅く起きた休日。いつものように秋子さんの手伝いで昼食の食器を並べ、昼食につこうとす るその時、 「そういえば、TVのニュースで見たのですが…」秋子さんが言った。 「昔、この街にあった大木が在ったのですが、ある日、そこで遊んでいた女の子が木の枝から 落下して、ずっと意識を失っていたのだそうです」 「その女の子が、つい先日目を覚ましたそうです。七年ぶりに…。そのこの名前は…」 全てを語られなくても分かっている。 女の子の名前は…。 「…月宮あゆ…ですね」 俺の答えに秋子さんは静かに頷いて 「…はい」 とだけ答えた。 その日の午後、俺は秋子さんに伴われて、あゆの入院している病院へ出かけた。 秋子さんはナースセンターの婦長を始めとする看護婦一同と何故か知り合いだった。 看護婦に伴われて、あゆいる病室の前に佇む秋子さんと俺。 個室の扉には『月宮あゆ』とネームプレートが掛けてある。 俺は、ドアノブを握ると、その扉を開けることを少しだけ躊躇した。 この扉を開けると、この倖せ全てが夢だったなんて言うことになるのではないかという恐怖 にも似た不安が、俺の心によぎったからだった。      < 2 > 俺は、勇気を持って扉を開けた。 扉の向こう、まぶしい光が、俺を包んだ。 まぶしい光、それは陽光だった。 そのまぶしさに、一瞬だけ目を細めて、再び目を開けたとき、そこには少女の顔があった。 俺が渡し損ねた赤いカチューシャを付けたセミロングの髪。それは、俺のよく知っている少 女だった。 いや、俺のよく知っている少女より、七つほど幼く見えた。 「…あゆあゆ…」 俺は、少女が何か言う前にそう呟く。 「うぐぅっ違うモン…」 少女は拗ねたようにそう答えた。 「だって苗字もあゆだろ。だったら…」 「うぐぅ…祐一君やっぱり変だよぅ」 「うぐぅ〜おはようって言おうと思ったのに」 「おはようって?」 「…眠っていたの…七日間も」 あゆ後ろから、秋子さんが顔をのぞかせ言った。 「七日間?」 「そう、あの大木での出来事から七日間。あなたはずっと眠っていたの。あゆちゃんと一緒に…」 七年の記憶…。 自らが、といた七年の記憶そのものがいっさい、七日間の夢だった。 そういえば、あのとき、風にあおられて宙に舞ったあゆが落下すると思われる場所に、夢中で駆け寄って…。そこからの記憶がなかった。 恐らく、あと十秒遅かったら、本当にあの七年の夢が、現実になっていただろう。 そして、俺とあゆは七年の夢を共有した。 あゆが目覚めたのは五日目。 どうやら、それが、夢のなかであゆが消えてからのタイムラグらしい 落ち着いて、辺りを見回すと、あゆや秋子さんだけでなく、名雪も、俺の両親もそこにいた。 しかし、あゆの身内は誰一人としていなかった。 「うぐぅ…。うぐっ、うぐっ、うぐっ」 俺は、泣きながら、俺にしがみついてくるあゆの頭をなで続けた。 数日後、退院した俺とあゆを待っていたのは、俺の両親を交えての水瀬家での賑やかな夕食だった。 食事を終えて、片づけの後、リビングに一同が再び顔を合わせたとき、最初に口を開いたのは秋子さんだった。 「あゆちゃんの、これからのことなのだけれど…」  そういうと一同を見渡し、俺と、あゆと名雪をみる。そして、事情を飲み込めていないこと に気付いたらしく、少し考えてから、俺の両親と目配せをする。  そして、 「あなた達にも知っておいてもらう必要があるわね。ちょっと難しい話だけど、よく聞いておいてね。」  と一言付け加えた後、これまでの経緯を俺達でもわかるように、かいつまんで俺たちに説明をした。 秋子さんの話によると、あゆの父親は、「こうなってしまったのも私の不心得からです。この子の母親が他界したときにもその傍らにいてやることが出来なかった者に親の資格など有ろうものか…」と泣き崩れた。そこで、思案した秋子さんは「当面の間…それが、数日になるか数年になるかは分からないけれど…私が預かります、娘が一人できて家族が増えた様なものですから、嬉しいですし」と二つ返事で預かることを了解したらしい。  そんなわけで、あゆは、秋子さんが引き取って水瀬家の家族として迎えられることになった。 話の間中、あゆは俺にずっとしがみついていた。 そして、名雪は何かを言いそびれたようにじっと行方を見守っていた。 その晩、俺はなかなか寝付けずにいた。  ふと思い出したように、あゆのことが気になり、二人のいるはずの名雪の部屋に行った。  一応ノックをして返事がない事を確認すると、そっと、ドアノブを回してみた。  なかは、異様に寒かった。  それもその筈。ベランダ側の窓が開いていた。ベランダには二つの人影が浮かんでいた。 「なにしてるんだ」 俺も、ベランダまで出て二人に問いかけた。 「うぐぅ…あれ、祐一君…」とあゆ。 「あっホントだ。祐一だよ」そして名雪も振り返った。  寒さのなかで、この二人の周りだけ、妙に穏やかな空気が流れているように感じた。  完全に時間すら飲み込んでしまったような 緩やかな気配のなかで、黙っていると、二人のペースに巻き込まれて、ぼーっとしたまま一晩 ここで過ごしかねなないと感じた俺は、 「…で、二人でこんなところでなにしてたんだ」ともう一度尋ねた。 「…お話をしていたんだよ…」  名雪がいった。 「どんなはなし?」 「…そうお話…」あゆ。 「祐一君に出合ったときのこと」 「寂しがったこと、楽しかったこと、そして、あの『学校』のことと夢の中のこと」  「…ずっと待ってたんだよ。七年も夢の中で」 「でも、それは夢の中の出来事だった。目が覚めたら、五日しかたってなくて…。病室の隣のベッドで祐一君が眠っていたんだよ」  あゆは少しだけ、涙ぐんでいた。 「…ねえ、祐一はどんな夢見たの。」 「少しだけ悲しい夢。あの大木から落ちたあゆを支えられなったゆめ」 「…そう」 「だから、七年たってこの街に戻ってくるときそのころの想い出だけぽっかり抜け落ちてて…」 「そのことで少しだけ、みんなが傷ついている。そんな夢だった…」 「…うぐぅ。…そう、ボクもそんなゆめだったよ…」  俺の言葉を夢を共有したあゆが締めくくると、俺たち三人はしばらくその場に佇んでいた。 気がつくと、雪が降り始めていた。  雪国特有の積もる雪。   「『学校』へ行こうよ。明日の朝…」  ふいに、あゆが沈黙を破った。 「…でもな…」  そう、あゆも知っているはずだった。もう、あそこに僕らの木がないことを…。 「知ってるよ。でもね、行かなくちゃいけないの。だって、…」  「うぐっ、だって、佑一君とはしばらくお別れだから、うぐっ…約束だから」 「そうだったな」 「名雪ちゃんも一緒に…うぐっ、お別れ会やるんだよ…。うぐぅ…」 あゆの言葉は、もう泣き声に変わっていて最後の方はよく聞き取れなかった。 雪が降っていた。  心の中まで降り積もる  暖かな雪 これからの、俺たちにこの雪は、どんなメッセージを運んでくるのだろう。 < 3 > 森の中には、朝日が射し込んで神秘に満ちていた。 老齢の大木が在ったことを示す切り株が、そこにあった。 雪に半ば埋もれかかった切り株の雪を少し払うと、三人だけのお別れ会を始めた。    最初は、最初で最後の転校生、名雪の自己紹介。  そして、持参した、お菓子を広げて…。    お別れ会も終盤にさしかかろうとしたとき、名雪が雪で何かを作り始める。 そして、出来上がったそれを切り株の上に置いた。 「ゆきうさぎだね」 あゆがそういうと 「うん、そうだよ」 「それじゃ、ボクも」  あゆも、見よう見まねで作り出す。 名雪の作ったそれの隣に置くと、かなり不格好だが、かろうじてうさぎに見えた。 「それ、ホントにうさぎか?」 「うぐぅ、ひどいよ。自分も作ってみればわかるよ」 「俺も作るのか」 「そうだよ」 あゆと名雪が声をそろえて俺を追いつめていく。 「しかたがないなぁ」 手袋越しに冷たい雪をかき集めて、雪うさぎを作りあゆのそれのとなりにならべた。 「ほら、お前のよりは上手いぞ」 「うぐぅ〜。」  切り株の上の三つの雪うさぎ。 俺たちは、しばらくそれを見つめていると名雪がことばを綴った。 「また、この『学校』で会おうね…」 涙をこらえている笑顔が今にも崩れそうだった。 「うぐっ、うぐぅっうぐッうぐぅ〜うぐぅ…」  あゆにはもう、言葉はいらなかった。 「ああ、約束だ」  俺は、あゆと名雪の右手を握ると強引に、二人の小指に自分のそれを絡めた。 「ゆびきりげんまんうそついたら…」 俺ももう限界だった。 「うそついたらはりせんぼんのます…。ゆびきっ…」  もう言葉にならなかった。 切れない指切り。永遠にこの瞬間が続くことを願って… 「うぐぅ…切らなきゃ、指切りにならないよぅ…」  夢の中で、俺が意識を失い掛けたあゆに言った言葉。 俺達は十秒後の奇跡の中にいる。  涙をこらえて、時計を進めないといけない。   涙で鼻にかかった声で言ったあゆの言葉に、即された俺達は、 「指切った」  声をそろえてそういうと、思い切って約束を成立させた。     夢 楽しい夢  悲しい夢  辛い夢  怖い夢 僕らは現実という夢の中にいる   深い夢  浅い夢   ゆめ  夢  ふと目覚めると忘れてしまいそうな夢 もしかしたら  みんな   覚めない夢のなかで      暮らしているのかもしれない でも、   朝が来て目が覚めたときには            倖せでいたい               …何故なら、      それがボクの願いだったから… …1年後… ボクは、待っていた。  雪が積もったホームの上。  お気に入りのダッフルコートに身を包み  お気に入りの羽のついたリュックを背負い    たとえ毎年えても  キミに会えない一年間は とっても永いんだ  七年前に見た夢とおなじように  でも少しだけ違うことは  これが、夢でも幻でもない  流れていく時間と共に 君と一緒に歩いていけるのだから… 列車の扉が目の前で今、開いた  そして、  今、キミがおりてきて 「ただいま」 「お帰りなさい。祐一君」 fin